終戦記念日に寄せて

毎年8月15日になると思い出すエピソードがある。
26年前の祖母との記憶だ。


全国的にはどうなのかよくわからないが、私の地元ではほんの20年前までいわゆる右翼団体の黒い街宣車がよく走っていて、特に終戦記念日などは1日中、近く遠くと軍歌が響いていた。

そんな賑やかな買い物帰り、駅前を歩いていた祖母と私のそばにたまたま街宣車が停まったその時、祖母がぽつりと、独り言のように
「もう50年か」
と言ったのだ。

当時小学生だった私は即座に
「戦争が終わってからってこと?」
と訊いた。
ちょうど学校で第二次世界大戦の事を学んだところだったし、『祖父母に戦争体験を聞いてみよう』という宿題もこなしたばかりだったので、50年という数字にピンと来た自分を褒めてもらいたかったのだ。
祖母を見上げた顔はきっと自慢げだったはずだ。

「そう。それから50年経ったんだって。」

わたしの思惑に反して祖母はその一言だけをしみじみと、噛み締めるようにつぶやいて、逆光で表情の見えない顔はじっと前を向いていた。

いつも明るくお茶目な祖母のその姿に、よくわからないけど強く感じるものがあった私は、それ以上何も言わずただ黙って手を繋いで家路についたのだ。




私にとっての戦争のイメージというのは、火垂るの墓でもはだしのゲンでもなく、この祖母との記憶に強く紐づいている。
経験した事はないけれど、戦争とは50年経っても人をあんな風にさせる程の出来事だったんだ、という具合に。


改めて考えてみると、祖母は人生の最も多感な時期である10歳からの6年間を戦火の中過ごした事になる。
それどころか10歳までの人生も軍国主義的な世の中を生きてきたわけで、それは私には想像もできない世界だ。

更に戦後生活が落ち着いてきた頃、まだ10代のうちに母を亡くしたと聞いている。




祖母は、何かにつけて「今はいいねぇ」と言っていた。

一緒に洗濯物を干しながら。
近所のミニストップでソフトクリームを買った時。
エアコンで涼みながら。
歯医者の帰り。
旅行に行った時。
妊娠中の私を見て。
産まれてきた息子を抱いて。

当時の私は単に「昔はなかったものがある」という意味だと思っていたが、最近は祖母がどんな想いで「今はいいねぇ」と言っていたのだろうと考えたりする。

本当のところはもうわからないが、きっと戦前からの世の中の変化見てきた女性ならではの視点があったのだと思う。

父方母方問わず、祖母からのみ「よーく勉強しろよ」と慈愛に満ちた目で言われ続けた事も偶然じゃない気がしている。
(もしかしたら、案外祖母からのみ勉強しろと言われた人は多いのかも?)

これはきっと「たくさん学んで多くを知り、幸せになる権利を奪われない人間になれ」という、重い実感の込められた言葉だ。


だから私はここ数年、8月15日が来るたびに、戦争反対への想いと同時にこの良い流れが止まらない事を心から願って止まない。
どうにか、将来おばあちゃんになった私が「今はいいねぇ」と言える社会になって欲しい。

その為にはきっと、今の私がボケっと生きていてはダメなのだ。
できる限りたくさんの物事を知って、良い方向に向かわないといけない。

そういうわけで、今年もこの節目を迎え気持ちを新たにし、これからも時に膝パーカッションを打ち鳴らし、時にせやろがい!と叫び、許せないことは許せないと怒るような人生を生きていきたいと思う次第だ。

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