ダレカワさん

子育てとフルタイムの両立が無理すぎてパートに転職した一児の母です。 産前の事は忘れました。

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最近の記事

ばあちゃんの畑が空き地になってたってだけの話

ずっと地元に住んでいても、人生で数回通るか通らないかくらいの道がある。 今日通ったそこは大通りよりずいぶん奥まったところにある住宅地で、以前通った時は縦長の小さな畑があった場所だ。 20年ぶり2度目の通行である。 20年前、就活中にたまたまその道を通ったとき、そこでばあちゃんが畑仕事をしていた。 畑友達と一緒にじゃがいもを収穫していたばあちゃんはとてもハツラツとしていて、80代という年齢を感じさせない様子だった。当時、反抗期明けでばあちゃん愛を取り戻したばかりだった私は、そ

    • この私が、こんなにも普通の事務職をやりたくなるなんてね。

      いつからなのかもう思い出せないけど、気づいたら諦め癖がついていた。 少なくとも小1の頃には、小学校生活においてのあらゆる行動が、筆箱やノートなどの所持数や机に置くときの位置に至るまで決められていて、もう私には人権がないのだと絶望し、自分の望むように生きることは諦めたのを覚えている。 当然、大人になった今なら、学校での細かいルールなんて別に絶対ではないし教員だって支配するつもりで言ったのではないとわかる。 けれど、遅くともその頃から大人になるまで、もはや心から欲しいものな

      • 終戦記念日に寄せて

        毎年8月15日になると思い出すエピソードがある。 26年前の祖母との記憶だ。 全国的にはどうなのかよくわからないが、私の地元ではほんの20年前までいわゆる右翼団体の黒い街宣車がよく走っていて、特に終戦記念日などは1日中、近く遠くと軍歌が響いていた。 そんな賑やかな買い物帰り、駅前を歩いていた祖母と私のそばにたまたま街宣車が停まったその時、祖母がぽつりと、独り言のように 「もう50年か」 と言ったのだ。 当時小学生だった私は即座に 「戦争が終わってからってこと?」 と訊い

        • 朝のコンビニから

          母と僕が喧嘩をした後、最初に立ち寄る場所はいつも朝のコンビニだった。 僕が母を怒らせるのは大抵朝で(主に僕が提出物や集金の事を思い出した時)その時々の問題を解決する為にコンビニはとても便利だし、そのために家で食べられなくなった朝食まで調達できるからだ。 ある時は雑巾を ある時は牛乳(パックのため)を ある時はお金をおろしにATMへ 近所のファミマには本当にお世話になった。 雑巾を買っている時も 牛乳を買っている時も ATMに並んでいる時も 母はずっとブツブツ小言を言っ