朝のコンビニから

母と僕が喧嘩をした後、最初に立ち寄る場所はいつも朝のコンビニだった。

僕が母を怒らせるのは大抵朝で(主に僕が提出物や集金の事を思い出した時)その時々の問題を解決する為にコンビニはとても便利だし、そのために家で食べられなくなった朝食まで調達できるからだ。

ある時は雑巾を
ある時は牛乳(パックのため)を
ある時はお金をおろしにATMへ

近所のファミマには本当にお世話になった。

雑巾を買っている時も
牛乳を買っている時も
ATMに並んでいる時も
母はずっとブツブツ小言を言っていて、僕は隣で雑誌コーナーに並ぶ沢山の見出しを眺めながら黙ってふてくされていたものだ。

僕はその時間が堪らなく嫌いだった。

だけど、会計後車に乗り込むと、母はいつも飲み物やツナサンドを差し出してこう言うのだ。

「怒ってごめん。急だったから焦ってイライラしてた。」

母は僕の好きなものをよく知っていたし、人間好物を飲み食いしながら怒るのも難しいもので、僕もなんとなく「ごめん」と謝ってしまうのだった。

僕がこの事を思い出したのは、今朝、登園を渋る3歳の息子に怒鳴ってしまって気付かぬうちに母と同じことをしていたからだ。

今朝僕は、保育園行かない!と泣き叫び暴れる息子に、つい「じゃあ1人で留守番するんだな?」と突き放してしまった。

一転「やっぱり行く!行くよ!」と泣き叫び「お着替えさせて」「だっこして」とせがむ息子にいやだ自分でやれと突っぱねてしまった。

イライラしながら着替えさせ、朝食もままならず、その分いつもより早いけれどとりあえず車に乗せて保育園へ向かう途中
目についたのがコンビニだった。

まだ時間もあるし、改めて朝食を食べさせようと思った。

買い物が嬉しくてニコニコしている息子と好きな物を一緒に選んでいると、何故か特大の愛おしさがこみ上げてきた。
昨日は僕が休みで久しぶりに一日中一緒に居たから、今日も保育園に行かずに一緒に居たいと思ってくれていたのかもしれない。
今更だがそう思えた。

そしてきちんと謝りたくなって、会計後車に乗り込んだ僕は購入したツナサンドの袋を破りながら
「怒ってごめん。パパ今日は絶対遅刻できない日だったから、イライラしてた。」
と言った。

息子は僕の渡したツナサンドを頬張りカーエアコンの操作ボタンの辺りを眺めながら
「ぼくも、保育園行かないっていってごめんなさい。」
「パパ仲直りしよ」
と言って笑った。

母が、あのコンビニでの僕との時間で何を感じていたのか、本当のところはわからない。

でも僕は、あの時の母の気持ちが少しわかった気がする。

一時的に子供への愛おしさを覆い隠してしまう要因は、日常生活にあふれている。
そんな時こそ出来合いの物を頼って少しの時間を買うと、驚くほどあっさり気持ちが晴れる時がある。

だから、僕はきっと、また息子とコンビニに行くのだろう。
喧嘩した朝や、イライラした朝に。

あの日の母のように。

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