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善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
こんな言葉があるらしい。
善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや
なるほど面白い言葉だ。
てなわけで、興味本位で軽くだが調べてみた。
親鸞が説いた言葉。まず真っ先に飛び出たのはどこもその一文だ。
いきなりスケールが大きい。歴史の教科書にも記された名前だ。
で、気になるその意味はというと、どうもこういうことらしい。
善人が救われるのだから、悪人が救われるのは言うまでもない
この言葉の意味は、いくつか調べたがいろいろあってよくわからん。浄土真宗が「阿弥陀如来を信じる人はみんな天国に行ける」みたいな事言ってる宗教だからそこから読み解くしかない。
どうでもいいが、宗教自体が昨今の悪徳宗教みたいで面白い。悪どいことが明るみに出てるとか出てないとか、最初から悪いことを考えてるか本気で世界を救いたい狂人かとかの微細な違いしかない。
阿弥陀如来様は、生けとし生きる者全てを救って極楽浄土へ導く存在らしい。軽く調べた程度だけど。
そしてその教えの中には、みんな好きそうな言葉が鎮座している。
他力本願だ。これが、今回の言葉の鍵を握っているとか握っていないとか、何だかその手の宗教に特化していそうなブログに書かれていた。知らんけど。
私は正直よくわからなかったがわかる人はわかりそうなので、ここに貼り付けておく。
ゲッター・・・じゃなかった。阿弥陀如来の慈悲と他力を信じて依存することが救いの鍵という文言も見た。
あるいは、こういう文言を書いてあるブログもあった。
善人だと自認している奴が救われるなら悪人を自認している奴はもっと救われる
何だかニーチェみたいだ。「善人ほど悪い奴はいない」みたいな。
どれが正しいかなんてズブの素人である私にはわからん。
ただ浄土真宗の教えが「阿弥陀如来への信仰心が大事」とあるので、多分、「善人も悪人も救われる」みたいな感じじゃなかろうか。
ところで、筆者にはある持論がある。
「悪人は善人より強い。そして自分の利益ばっかり考えるから結果として幸せになる」
批判の声があってもいい。というか私にとっても非常に面白くない持論だ。
だが、これがどう関係しているのかというと、「平等に天国に行けるなら悪人の方が救われる度は高くなる」という事だ。
いやはや、胸糞悪い。だが真理でもある。勝手に思ってるだけだけど。
とか言って、親鸞も今の私と同じことを思っていた可能性はゼロではない。一種の諦観なのか親鸞自身が極悪の魂を持っていたのかは知らないが。
ただ平等にみんな救われるなら、そりゃ悪人が救われるわな。そんな不条理なことを思う今日この頃。