小指の爪の先ほどの希望

もし、神さまが私に笑いかけた日があったとするならば
あの日以外にはありえないだろう。
着ていたワンピースも、履いていた靴も、つけていた下着すら
はっきりと覚えている。
あなたがとても広くてきれいな公園に、私を誘ってくれた日。
浮足立っているのがバレないように、私はちょっと
そっけなかったかも知れない。
一緒に歩いていると、なぜだろう、あなたにお姫様抱っこを
されているような気分になった。
重すぎる私の心をひょいと抱えてスタスタ歩いて行けてしまう。
あなたはそんな人だったから。
決して逞しいとは言えない体躯の内側に、そういうことが出来る
強い意志を秘めた人だった。
私は自分の穢れた生い立ちや、背負っている重篤な病すら
忘れてあなたと笑いさざめき合った。
恋をしていた。
私はあなたに。
そして世界もまた私たちに恋をしていたのだと思う。
魂の綺麗な人は、風の香りに敏感だ。
願ってはいたけど叶うとは思っていなかった、あなたとの長い時間の中で、
雨上がりの匂い、晩夏に混じる秋の気配、真冬の澄み切った空気の香り、
あなたはそれら全てを慈しむように、とてもいいね、と
それらに触れる度に何度も口にした。
私も元々そういうものには敏感だったけれど、
あなたと手を繋いで嗅ぐ風の香りは、
ひとりでそうしていた頃より何倍も愛おしく感じられた。
それが人を愛するということだと気づくまでには少し時間を要した。
だって、私は自分が誰かを愛せるなんて、
そんな力が、この荒れ果てた心に残っているだなんて、
夢にも思わなかったから。
永遠なんて、どこにも、無い。
だからこそ、挑みたいと思った。
小指の爪の先っぽだけに、桜色のマニキュアが塗られたみたいだった。
もしかしたらそれはすぐに剥がれてしまうかもしれないし、
私の人生にまとわりつく悪魔によって、
生爪ごと剥ぎ取られてしまうかもしれない。
でも、生まれて初めて見た、暖かな灯りに向かって
あなたとふたりで歩んで行きたいという願いは
私にありとあらゆる見たこともない世界を見せてくれた。
引き返したくない。
離したくない。
離れたくない。
一度、二人で歩むことを知ったら、もう一人では歩けない。
それは弱くなったからではなく、守りたいものが出来たから。
前よりも、強くなれたから。
生まれて初めて神さまの笑顔を見たあの日から、
あなたへの愛おしさはもはや微塵の疑いもないものへと昇華した。
あなたを愛してる。
世界中の誰に問われてもそう返せる。
小指の爪の先に灯った希望を、
あなたがくれたかけがえのない常春を、
命がけで守らずして、私に生きる意味などないのだ。

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