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【歌詞考察】Buono!『星の羊たち』が意味深すぎて眠れない
ハロプロ楽曲のサブスク解禁をきっかけに、Berryz工房や℃-uteの曲を聴きまくっている。
その流れで、Buono!も聴いている。『Independent Girl〜独立女子であるために』が特に好きだ。
色々聴いた中で、改めて「何だこりゃ?」と思ったのが、『星の羊たち』である。
いしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』の筒美京平・橋本淳コンビによる楽曲。アルバム曲なのがもったいないほどの豪華布陣だ。
この曲は、ゆったりした歌謡曲テイストで、山口百恵の『夢先案内人』にも似た雰囲気を感じる。
一見、夢見るふんわりアイドルソングにも思えるのだが、歌詞がどうにも不穏なのである。
この曲で描かれるのは、現実で叶わぬ恋に苦しむ「私」と、“星の羊たち”がのんびり暮らす「夢の国」の対比だ。
まず「私」に目を向けてみる。
この頃私 苦しい
大人の女になれなくて
かくした人が いるのに
身体の中で喧嘩をしているみたい
友達ならば答え出して
心が痛い こんなに
あなたの魅力に負けそうで
追いかけてる毎日
頭の中は涙であふれているの
友達ならばここに来てよ
「どうした?」って感じの病み病みな言葉が並ぶ。
大人の女になれなくて苦しい、はまだわかる。“あなた”への叶わぬ恋を断ち切れないということだろう。
引っかかるのは、「かくした人がいるのに、身体の中で喧嘩をしている」の部分だ。
この部分を「妊娠の暗喩では」と考察しているファンも居るというが、なるほど、それなら“星の羊たち”が何を意味するかも自ずと見えてくる。
しかし私は、あえて現実的な解釈をしてみたい。
ここはシンプルに、「かくした人」を“あなた”と考える。
「体の中で喧嘩」というのは、「相手と結ばれないことを認める“大人の女”になりたい私」と、「望みを捨てきれない私」の喧嘩であると捉える。
「友達ならば答え出して」。ここも、「こんな私を“あなた”がなんとかしてよ、“友達”なんでしょ?」という、皮肉めいた表現と取れる。
さて、もう一方の「夢の国」の描写を見てみよう。
星の羊たちが 草を食べているわ
夢の国では 楽しい事が
毎日続くのね・・・・
星の羊たちが 草を噛んでいるわ
私1人で 待っていたって
幸せになれない
この“夢の国”とは一体なんぞや?という話。
普通は、「星」というワードから「空の上」を連想する。
アイドル的に可愛く解釈するならば、「ふわふわな雲に浮かぶメルヘンな国☆」と考えることも出来るだろう。
いずれにしても、主人公の「私」の理想上にのみ存在する世界のように思える。
だが、前述の現実パートをみる限り、この曲の主人公は、そこまで幼稚ではなさそう。
“夢の国”がもし「天国」と言い換えられるなら、“星の羊たち”という言葉もキリスト教的に解釈できるかもしれない。
イエス・キリストは羊飼いに例えられ、迷える民=羊を導き、救うとされる。
羊が草を食み、平穏で楽しい毎日を送っているのは、主人公にとっての理想、つまり現実の裏返しであろう。
「苦しくて涙でいっぱい」の現実から、「楽しい事が毎日続く」夢の国に救いを求めている。
2番には、“白い羊たち”が登場する。
白い羊たちと 走る私見える?
遠い国では どんな事でも
叶えてくれるのよ
白い羊たちと 眠る私見てね
あなたの瞳 見つめるけれど
望みは叶わない
“白い羊たち”は、“星の羊たち”と同一と思われる。
したがって、“遠い国”は“夢の国”と同じ場所を指すと解釈する。
「眠る私見てね」とは、あまり聞かないフレーズである。
「友達ならばここに来てよ」なんて言っちゃう女性だから、当てつけの可能性大。
ダークに解釈しようと思えば、「あなたが来ないから私、夢の国で眠っちゃうからね!」つまり「私、死んじゃうからね!あなたのせいだからね!」という風にも聞こえる。
というか、この部分に関しては、それ以外の解釈が浮かばない。
シンプルに考えようとしても、「羊たちと眠る私」「望みは叶わない」からは不穏な情景しか浮かんでこないのだ。
以上を総合して、「結局これはどういう曲なのか?」と結論を出そうとするが、考えれば考えるほど行き詰まってしまう。
「どんな事でも叶えてくれる」国というのもよくわからない。
星の羊たちが何を指すのか?どこから見た何の物語なのか?如何様にも解釈できてしまう。
そもそも“私”はどこに居るかさえ不明だ。
もう一度、歌詞を見ながら曲を聴き込んでみた。
何度かループ再生してみて、ある思い込みに気づいた。
“私”は「苦しみのない夢の国にいきたい」のではなく、すでに夢の国に居るのではないか?と。
「星の羊たちが草を食べているわ」と、現在進行形で、目の前で見ているような言い方をしているのがその証拠だ。
「私」はすでに夢の国に居て、羊たちと過ごしているのだ。
「遠い国」という表現に惑わされたが、これは「あなたから見て遠い国」という意味だとしたら、辻褄が合う。
「どんな事でも叶えてくれる」のは、「自分にとって都合の良い世界」だからではなかろうか?
これ、一種の叙述トリックのようなものだ。
私は「結ばれない現実が苦しいから、遠い夢の国に行きたい」のではなく、「夢の国から現実に帰りたいのに、あなたが来てくれることはない」という切なさを歌っているのである。
こうなると、終盤の歌詞もすんなり入ってくる。
星の羊たちが 草を噛んでいるわ
あなたと共に 暮らしていれば
悪い子にならない
「あなたと居られたら悪い子にならない」ということは、現実の“私”は「悪い子」であるということ。
しかもおそらく、意図的に「聞き分けのない悪い子」を演じている。そうすれば、いつまでも自分に都合の良い“夢の国”に居られるからだ。
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私の中では、これが決定版と言えるほどしっくり来る解釈なのだが、どうだろう。
『星の羊たち』は、何度聴いても意味がつかめないのに、聴いた後にはなぜか切なさと暖かさの残る、考察の捗る楽曲だ。
他の人の解釈もなるべく多く読んで、今後も深く歌詞を読み込みたいと思っている。
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