ダランティーノ

複数の精神病院で、双極性障害(躁うつ病)と診断されています。同じ悩みを持つ方や、病院の先生、周りにいる方などへ、少しでも実態を知ってもらえたらと思い、書きます。特に病院の先生には見てほしいです。なぜなら、診察の何分かで何も伝えきれないからです。

ダランティーノ

複数の精神病院で、双極性障害(躁うつ病)と診断されています。同じ悩みを持つ方や、病院の先生、周りにいる方などへ、少しでも実態を知ってもらえたらと思い、書きます。特に病院の先生には見てほしいです。なぜなら、診察の何分かで何も伝えきれないからです。

最近の記事

双極性障害/やけどの跡

 ぼくは、へんな髪形をさせられていた。ショートカットで後ろ髪だけチョロンと長い、ウルフカットというやつだ。いやでいやでしょうがなかったが、毎月知り合いのパパ友の美容院へ連れていかれた。抵抗は無駄だ。前髪が伸びると、母親が眉毛からだいぶ上でガタガタに切った。あの時はやられるがままだったけれど、今ははっきりと母親を憎んでいることがわかる。健康になってきたのなら、喜ばしい。  保育園からの習い事の絵画教室、音楽教室、小学校からの英語教室はどれも知らないうちに連れていかれて始まってい

    • 双極性障害/ぼくはスカートを履かなくなった

      小学校の時、英語塾の帰り道に中学生にちかんをされた。泣いて帰った。母は何があったのかを何度も聞いたが、なんとなく怖かったことをわかってほしかった。それなのに、母は学校のお便りに、「実はこんなことがありました」、と書いてしまった。何も詳しくいっていないのに、なんでそんな大事にするんだと、悲しかった。担任の男の先生が中学のアルバムを何年分も持ってきた。「あなたにいやなことをしたのはこの中のだれだ?」と。顔を見たんだろうけど、全く覚えていなくて答えられなかった。先生は犯人を仕留めた

      • 双極性障害/母親が「私はノイローゼかもしれない」と言った日

        父親は優しかったが、パチンコで帰りが遅かった。母親は父親がパチンコに行っていることを知っていた。余計な情報を知らせる人間はどこにでもいる。でも彼女は父親に聞くことはしなかった。母親はかたくなに、子供が小さいうちは専業主婦でいるといい、生活はぎりぎりだった。たまに母親が出かけていない日は天国だった。長女のぼくに、キッチンの椅子に座り、正座をして、ぼさぼさの髪で、「私はノイローゼかもしれない」と言った。ショックだった、今でも暗い思い出になっている。これを書くまでは忘れていたけれど

        • 双極性障害を受けいれるための日記

          双極性障害/昔の話から遡れば幼少のころから、変わってるね、変わってるね、と言われ続けてきた。なので言われる事には慣れっこで、ある意味、鈍感だった。音楽と美術が得意で、電子オルガンはコンクールに出ていた。狂ったように練習をしたり、全く触らなくなったり、できないと自分の指をかじったりした。自覚はないが、ピアノの先生曰く、絶対音感があったらしい。親はぼくを天才だと思っていたという。親ってそんなもんだ。小学校低学年のころ、カプセルの中に2つのサイコロが入っていて、それを振って足した数