歩いてきた道(1)
今日からしばらく自分の生い立ちを話して
自分がなぜ今の考えを持つようになったのか
知って貰いたいなと思います。
今回は、小学校中学年までくらいです。
すごく長くなると思いますしマイナスなイメージで受ける人もいるかもしれないですが
自分は幼少期から当たり前に感じ
決して悲観アピールではないので
誤解せずお読みいただきたいと思います。
めちゃくちゃ複雑な家庭環境で育ったので
長くなるのと説明が下手くそなので
混乱させてしまうかもしれないので
身内の話を先に書いて行きます。
祖父と祖母(離婚)
祖母はバツ2のため
祖父は血の繋がりがありません。
父と母(離婚)
母親もバツ2で弟も父親が違います。
母親が19歳の時にド田舎の町で自分が生まれてすぐ離婚したようです。再婚時期はわからないですが自分が3歳の時に弟が出来ました。
小さい時の記憶ってあまりないのですが、
弟は体が小さく弱かったため、親のストレスの行き場が自分で叩かれるのは自分だけだったなと思ってました。子供の頃から弟と比べられ
ずっと弟に対し劣等感を感じ嫌いでした。
自分のストレスの発散の場所は弟しかいなかったのでかなり弟に当たって来たと思います。
5歳までは祖父の家で住んでいたのですが
祖父と離婚し隣の市に住んでいた祖母の家に引っ越して祖母と一緒に住むようになりました。
小学校に入ってもあまり記憶にはないですが、
1年か2年生の時に母と祖母が喧嘩をし祖母と離れて暮らすようになました。弟が小学校に入るまでは家に帰っても1人だったし寂しかった記憶だけが残ってます。
なんの説明もなかったため、親父と認識は持ってませんが3年生くらいに母の彼氏が家に来るようになり、3人の暮らしを壊された事が不満で反発から勉強をした記憶がほんとにありません。
8歳くらい?~17歳まで一緒に住んでました。
3年生の頃に彼氏と2人で店を出し居酒屋を
初め店の2階で住むようになりました。
それも、引っ越すことを初めて知ったのは
友達の親から初めて聞いたときで何それ?って
ショックを受けた記憶があります。
不信感と不満がつもり俺は必要ない邪魔
居場所なんてないんじゃないか
って思うようになったのもこの頃だと思います。
家で不満をぶつけたり、少しでも口ごたえすると殴られる分を学校で発散始めてたのも多分このくらいだと思います。4年生まではイラッとするとすぐ手を出てたと思います。
こんな幼少期でも嬉しかった記憶が2つあり
遠足の時とか早起きして手の込んだ弁当を作ってくれたたり、誕生日は毎年祝ってくれて運動会などのイベントの時はバスもろくにない田舎のため早くから迎えに行って一緒に見に来てくれたり
ほんとに自分や弟が邪魔ではないんだなと母親から感じれていたことです。
今回はここまでにします。
読みずらくなってしまったかも知れないですが
最後まで読んで
いただきありがとうございました。
次回は自分変えてくれた
大人達との出会いを書いていきたいと思います。