歩いてきた道(2)
スキをくれてる方々本当に
ありがとうございます!
今回も最後まで読んでいただけたらと思います。
小学生時代ながらも自分の人生を良くして
もらった出会いを来て貰えたらなと思います。
小学校4年のときに祭りに参加し始めて
人生そのものがこの祭りだと言えるくらい
地元の大人達に囲まれて獅子舞をするのが
1年で一番の楽しみになりました。
5年生の時に大人かお酒を飲んでいて
かっこいいと思い同級生達と隠れてお酒を飲み
教室が酒臭いと言われる状態で学校に行き
関係者が呼び出される事件を起こしました。
普通なら二度と来るなよと言われると思って
祭りができなると覚悟した時に
「こんな事件起こして辞めるなよ。大人になっても迷惑かけた分祭りを守れるように頑張れよ。」と言ってもらったことがずっとありがたくて
今でも忘れられない言葉になりました。
中学に入り、思春期を迎え家庭の事情をコンプレックスに思っていて荒れまくっていて学校の先生に見放されてたときにも、真っ直ぐに向き合っていただいて悩んでる時も相談に乗ってくれる存在があったことが、荒れていたときに人の道を
外さなかった出会いの1つだと思います。
中学校時代は人に言えるような過去ではなく
荒れに荒れてたので控えたいと思います。
家の近くの高校には間違いなくいけないと
言われてたので、
祖父の家の近くの元々住んでた町の
学校に受験し合格しました。
県立高校ではあるのですが、様々な事情のある生徒が集まる学校で先生方の熱心な指導のおかけで
辞めずに卒業することができました。
高校在学中にも、
内容は伏せさせていただきますが
様々な事件を起こして謹慎処分を受けています。
学校からの呼び出しを受けて母は店を出れず
すぐに対応出来なかったりしたときに
近所に住んでる祖父が学校に来てくれてました。
一緒に帰っても頭ごなしに怒らず
自分の訴えや悩みを聞いてくれたり
様々な話をしてくれて事で
自分の事を思ってくれてる人のありがたみを
感じることができるようになったと思います。
謹慎中は必ず親の送り迎えで
他の生徒の接触一切無しとゆう校則だったため、
夜中まで働いている
母親が謹慎中は朝6時に家を出て
仕事が始まる前に迎えに来てくれてました。
そこで、自分を心配してくれてる
祖父は本当は血の繋がってないとことを聞いて
胸を締め付けられた事が忘れられません。
土日仕事の母の代わりに遊びに連れてってくれてたのは、祖父だっため
ずっと本当のおじいちゃんだと思ってました。
母親にも事件を起こしたり家出を繰り返して
いい加減に疲れたと言われ
何が不満でどうして欲しいか聞かれて
思ってる事を全部話しました。
その望みを全て叶えてくれてずっと嫌で、
たまらなかった彼氏と別に暮らす選択をして
休みの日曜日は3人で過ごすことが増えました。
高校の恩師や親、祖父、祭りの大人達が
自分の事を考えてくれてる事に理解し
申し訳ないと気持ちになったので、
悪友を断ち切る決断をし
自分が決めた道を応援してくれた事が
自分の運の良さなのかなと思ってます。
たくさんの方に迷惑をかけた学生時代で
反省と後悔が消えてないことが
今の自分の考え方があると思ってます。
今度は、自分がたくさんの子供と向き合いたい
ちょっとした事で拗ねて後悔させたくない
夢を叶えれるように向き合っていきたいと思う
きっかけになっていると思います。
それを形にするために
子ども食堂をしたいと思ってます。
次回は、社会に出てからのできごとを
書いて行きたいと思います。