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1/5 ホットコーヒー

しばらくのあいだ、アイスコーヒーばかりのんでいた。



というのも、コーヒーのうまさがそもそもわからなかったのと、家でどうやってコーヒーをいれたらいいのかわからなかったというのがあり、とりあえずコンビニのアイスコーヒーをのんでまわって飲み比べを続けていたからだった。


セブンイレブン、ローソン、ファミマ、ミニストップをのみくらべた。

最終的にファミマのアイスコーヒーがいちばんクリアでうまいという結論になり、それが僕の中のコーヒーのうまさの基準になった。

つまり、「アイスコーヒーのような苦味や酸味などがクリアに感じられるものがコーヒーのうまさである」という偏見をもつことになった。


そのせいで、ホットコーヒーのうまさがまったくわからなかった。口に入れたときの味はアイスコーヒーに比べてかなりボヤけているから、飲んだ瞬間に「これの何がうまいんだ?」となって終わってしまう。



しかし、ホットコーヒーが好きなひとはたくさんいるし、実際にどこのコンビニでも売られている。冬なのだからホットコーヒーのうまさがわかったほうが絶対におトクである。また、楽しめるものを増やしたいとも思っている。

なので、わりとさいきん知り合ったバリスタの方に問いを投げてみた。



すると返ってきた答えはこうだ(めちゃくちゃ要約する)。

○コーヒーにおける「おいしい」とは誤差である
○その差分は、いろんなコーヒーを飲み続けてきたひとにしかわからない

つまり、こういうことだ。


ということで、アイスコーヒーにしがみつきつつも、ホットコーヒーをちょこちょこ飲むようにしてきた。



きのうもホットコーヒー(デカフェ)を飲んでいたのだが天啓がおとずれて「うまい」という認識に突然なった。

僕はアイスコーヒーをのむとき、いつも1〜2分そこらでのみほしてしまう。麦茶のようにガブガブとぜいたくにアイスコーヒーのむのが好きだからだ。

ガブガブと飲んではいるが、口の中で、舌を転がしてよく味わってのんでいる。これはこれで良い飲み方だとは思う。



だが、ホットコーヒーというのはそういうガブガブのむものではないんだ。そう気づいた。

ホットコーヒーの一口目はボヤけている。なぜなら、温度が高いからだ。しかし、カッピング的にスプーンですくってすすってのむと、味がなんとなくわかるような気がする。

そして、ゆっくりとのんでいくうちに温度が下がっていき、味が強調されてくる。

つまり、僕がホットコーヒーをうまいと感じるために必要だったのは「時間的な要素」に対する偏見をとりのぞくことだったんだ。


一口目だけで判断するのではなく、すこしずつのんでいくなかで温度が変化し味が変化していくのを楽しむこと。ガブガブとのまずに、ゆったりとのむこと。それが僕がホットコーヒーをおいしいと感じるために必要なことだったんだ。

つまり、僕には味覚的欲求に対して、ものすごくせっかちだった。もっと時間的に余裕をもってコーヒーにのぞむべきだったんだ。そう気づいた。



というわけで、ホットコーヒーをのんで自分の味覚的欲求に対するせっかちさ、つまり自覚していなかった新たな自分の一面に気づいたというわけです。

ここでは時間的な要素について考えてきましたが、もちろん味も大切です。昔ラーメン屋でのんだクソまずいホットコーヒーの味は忘れもしません。みんなはあんなにまずいものをよくのめるな、砂糖とミルクがないと無理だ、とそう思っていました。

きょうのホットコーヒーはかなりクリアで、酸味がちょうどよく、ほどよく甘さをかんじるようなものでした。ちゃんと丁寧にいれたコーヒーがよいですね。


あたらしいことをやっていると、変化が訪れるものですね。良い経験になりました。ありがとうバリスタ。ありがとうホットコーヒー。

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