雑記
優しいウソ
少しだけ優しいウソをつくのがうまくなったかもしれない。自分を騙さずに、誰かにウソをつく。意味のあるウソだ。相手に負担をかけないためのウソだ。
意味のない、便宜上の必要に駆られてつくウソも、まぁ悪くない。それで場がうまく回るのならば、コスパが良い。
昔と違って、いまはウソがあまり嫌いではない。良いウソは優しい。良いウソは他人によけいな負担をかけない。
なんでも沈黙すればいいというものでもない。正直に話せばいいというものでもない。うまくウソをつく必要がある時がある。その方が摩擦を生まないからだ。
自分を騙さずに、うまくウソをついて、目的を達成する。自分を騙さなければ、それは自分に対して誠実なウソだ。
誰かを傷つけるためでもないし、自分を騙しているわけでもないし、いいんじゃないか。そう思えるようになった。
「じょうずに騙して欲しい」または「本当にそうであって欲しい」んだろう、みんな。たぶん。騙して欲しいと思えるのは、それが存在しないと思っているけど「その時だけそういうことになるならばそれでいい」というあきらめである。
ウソをついて、ないものをあることにしよう。ツチノコはいるし、宇宙人もいるし、STAP細胞もあるんだ。あることにして、誰かと喜びを分かち合おう。
最後にひとつだけ。自分にウソをつくのだけは絶対にやめておこう。
バカは死なないと治らない
いろんな選択があるけれど、根本的な生き方は、バカは失敗しないと変えようがない。バカをやって傷ついてどうするか決めていくしかない。
友人に相談された時「はあ、お前はバカだなやめとけ」と言いつつ「でもそれをやるしかないんじゃないの?お前はそういうやつなんだし」と言った。
自分がバカなことをたくさんやってそれで納得してきた経緯があるからだ。自分の愚行を認めているので、他人がやるべき愚行というものが見える。
やりきらなければならないことがある。愚行を積み重ねた先にある納得と次に目指すべき場所を得るために。
一体どうすれば救われるのか
たぶん、ちゃんと納得してたくさん動くことと、死ぬことだろう。
納得せずに、自分にウソをついて、どれだけ何かを積み上げても、ちょっと揺らいだだけですぐに崩れてしまう。それは身をもって体験したことでもあるし、他人を見て「やっぱりそうだよな」と感じた経験からわかることでもある。
建築のことはよく知らないけれど、どうやら地盤が重要で、地下に色々と取り付けるのが大事で、家の設計が大切らしい。
地盤がゆるいところにしょぼい家を建てたら、そんなに大きくない地震で崩れてしまう。地盤がしっかりしているところに、地下のなんかすげえやつを取り付けて、揺れても壊れない家を建てられたらいいですね。