わりと日刊だらく[No.60]〜忍激の二字は、これ禍福の関なり〜
今日の散文
忍激の二字は、これ禍福の関なり
中国のえらい人の言葉。
意味は下のサイトではこう書かれている。
だいたい、負の感情というのは、どんな時もただの発作だ。それが自分によって正当化される時は、その負の感情に支配されているから生じる。
発作の正当化をした人は、今後も損をし続ける。
不快を正当化しているのは自分がおかしいからであると気付けるようにあった方がいい。
負の感情も不快も事実だから「そう感じている」という認識をする必要はあるが、「これは正しい!」として突き進んでしまうと損をしやすい。
さて、今月は「強化」の月であると思っている。そう決めた。「儀礼」を学びちゃんとやっていき、よくわからないものには「カタ」を形成してやっていきたいと思っている。
変えていきたいことの一つに「文章の投稿」がある。
僕は、SNSなどで思いつきを投稿することが非常に多い。
思いつくこと自体は良いことだ。だけど、それを公共の場に投げ捨てるのは、「軽佻浮薄」と言わざるを得ない。
仮に良いことを書いてあることがあったとしても、少しでも間違っていること・悪いこと・変なことが書いてあったらそれに疑問を抱く人がいるだろう。
それはいつか自分の信用を失わせ、問題が育ち花が開けば僕は消し飛ぶ。Twitterをやっているひとは、それを何度も見てきただろうし、これからも見続けるだろう。
思いつくこと自体は良いのだから、それはメモ帳などに留めておけばいい。そして、その言葉について考えて、色んな検討をした上で、それを投稿をする必要がある。
それが今の僕に必要な身につけるべき儀礼だと思っている。
損をしないために儀礼をやる。もしかしたら、ちょっとは得をするかもしれない。
具体的な方法はめんどくさいので書かないけど、これをやっていくことで色んなことが変わっていくと思っている。
まず、僕の思考と集中が、自分のせいで奪われてしまうことがなくなる。
思いついたアイデアは書き残しておいて、あとで暇な時にそれについて考える。そうやって、集中して思考ができるようにしていけば、文章を書くのが上手くなるかもしれない。少なくとも、多少は考えが深まるはずだ。
間違ったことを言わなくなれば、他人からの信頼が得られるかもしれない。少なくともバカだとは思われなくなる可能性がある(ちなみに僕はふつうにバカです)。
負の感情を正当化するのは最悪だけど、負の感情に飲み込まれてしまうのも同様に最悪だ。
「書きたい」という感情が何によって引き起こされるかは知らないし、別に書いたっていいのだけれど、公共の場においての儀礼としては言葉を選んでいく必要がある。
負の感情も不快も認めた上で、それを祈りで解決する。
そして、僕は思いついた文章についてしっかりと考えて、色んなことを検討した上で投稿する。そういう儀礼をやる。
これは僕のための儀式でもある。
これは、よくあるキーワードで言えば「良い習慣」である。
習慣が色んなことを規定する。能力が高いか低いか、相手からどう思われるか、健康か不健康か、他にも沢山のこと、自分の人生のすべてに影響を与える。
儀式、儀礼をやっていきましょう。少なくとも、損はしなくなるはずです。
よくわからないものにはカタを自分で設定し、それを育てていきましょう。
音楽
月初からつよめのいい記事が書けた気がする。
今月もまた、良い月になりそうだ。