わりと日刊だらく[No.104]〜ゲームとの決別〜
今日の散文
ゲームとの決別
7ヶ月前に禁煙を始めたわけだが、実はそれよりも前からゲームをやめていた。
不健康な人がやるゲームほど悪いものはない。不機嫌になってもやり続けるアホがいる(僕)。不健康な人間がさらに健康を損なっていく。
ガチでゲームをやっていると、それだけを考えて生活してしまうので、ただでさえADHDみがある人間が、さらにクソゴミポンコツと化してしまう。強い不快と逆転のカタルシス、そのアメとムチに突き動かされる障害者の完成である。これで誰が得をするのだろう。
仮に、いつも本当に楽しんでやっているとしても、基本的には時間の浪費に違いない。そう僕は思っている。
ゲームが悪だとは思わないし、ゲームによって学ぶこともあると思う。でも、僕はもっと別のことに時間を費やして何か別の世界で遊べるようになりたい。だから、ゲームをやめた。
ここ数日、労働を休んで別のことをやろうと決めてやっているのだが、その流れで久しぶりにゲームを始めてみた。
結論として、やっぱりすごく不快だった。
勝つことに意味を感じないし、負けることに不快を強く感じてしまうので、こんなことをやって何になるんだろうなとむなしくなってしまう。
これがビリヤードとかダーツならまたすこし違うのかもしれない。いや、そんなことないかもしれない。どちらにせよ、今の僕が欲しているものではない。
競技にも、直接的に相手に勝つことにも、興味がない。負けるのは嫌だけど。
いつだかメダルゲームでメダル長者になって数万枚のメダルを持っていた時期があったけど、あれでもう何かを増やすことには飽きてしまった。
ゲームをやりすぎて勝つことにも飽きてしまった。その程度の快楽ではうまく酔うことができない。残ったのは負けることに対する不快だけだ(すげえ損な感性だから後者は消えて欲しい)。
やっぱ向いてないんだな。僕は他にやるべきことがあるんだな。そう思った。
タバコと同じように以前は何度も何度もやめられずに困ってきた。たぶん、どちらも100回くらいは繰り返している(盛)。
今はスッパリといらないことを切り捨てられる。だから、やめた。こんなものはいらない。
こんなことをやるくらいなら、誰かと対談してた方がずっとずっといいのだ。
対談は「勝つ」という目的が与えられていない。だから、自分の好奇心を満たすためにひたすら問いを投げ、話を聞き続けることができる。
終わりが来る時は、相手に限界が来た時か、もしくは僕の問い力が尽きた時だ。
いつ終わっても平気だし、いつまでも終わらなくてもわりと平気なので、そういう自由さが気に入っているのかもしれない。