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わりと日刊だらく[No.59]〜月末の儀式〜
サムネ良すぎる。なんだこれ。
今日の散文
月末の儀式
もう今月も終わる。
毎月のことながら、年末感を味わっている。この感覚が好きだ。去年の6月あたりからこの感覚をすごく大切にしている。
「ひと月で1年を生きる」そういうつもりで生きている。僕は12ヶ月で12年を生きる。
「生き方を1ヶ月単位で変えていこうとすること」を維持していくことで、変わっていく構造を維持する。
「そういえば月末だな」と思うと、自動的にその感覚が全身を包み込む。速かったような遅かったような。今月はかなり濃密だった。もっと濃く刺激的にしていけるけど。
今月は「月末は丸一日休む」を導入してみる。
今月はとても変化の多い月だった。変えたいこと、見極めたいことが沢山出てきた。だから、それだけを考えてるのをやる日が欲しくなった。
労働はすごい。僕は労働を祈りのベースとなる素晴らしいものだと思う。休日を労働化するという一見すると何言ってるのかよくわからないことを考えている。
それはさておき、労働によって気付いたことがある。
それは対談の重要性。というか人と話すことの重要性。
特に対談が僕にとって重要で、何故ならそれは、ある個人に対してひたすら奥深くまで潜っていこうとすることができるから。表面的なことでも全然良いんだけど、とにかく自分ではない誰かの情報を吸収しまくることは、情報効率が良い。
なんだろうな、例えると、健康法的なアレで「魚は丸1匹食べなさい」みたいな感じ。魚は、切り身だけじゃダメで、丸々1匹食べるからちゃんと色んな栄養が取れるんやで、だから煮干し食え、みたいな。
すべてを食べられるわけじゃないけど、1人の人の話をちゃんと聞いて咀嚼していくことで、より多くの栄養素が摂れ、それによってアミノ酸スコアが高い状態になるんじゃないかなと。少なくとも体感的な満足感はすごい。満ち足りている。
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(そういえば、少人数でラジオをやりひたすら2時間くらい贈与について説明しまくったり、コメントに対して自分の考えを述べたりというのをやったが、あれもあれで良い栄養となった。なんだろう、アウトプットとインプットで栄養の質が違うのかもしれない)
しばらくしていないと忘れそうになるけど、他人の話を聞くことは、今の僕にとって何よりも充足感があることだ。これを忘れないようにしないと。
3時間も話しても疲れるどころか、終わった後はむしろ回復していて、快楽の余韻があり、悦びで全身が活性化しているのを感じる。話終わった後は頭の回転が良くなっており、エンジンがちゃんとあったまったんだなという感じがする。5時間以上話すこともあるが、同様に活性化を感じる。
そして、自分の人生を地道にこなしていくだけでは決して得られない鏡と、未知のことを知る刺激が得られる。情報のアミノ酸スコアが高ければ高いだけ、より高度な鏡となり、それが未知のこと隣僕の好奇心を満たし精神的栄養となる。
自分の人生をやるだけではダメだということがわかってきた。僕には他人が必要で、それも大量に必要だ。あたらしい人とガンガン話していこうと思う。
そのために時間を作っていく。
意図せず対談の話になってしまったが、このように、今月は労働によって出来なくなったことがあり、それによって気付きが得られたりして、日々色んな変化を望むようになる。
でも、それを言葉にして、生活の中で実践的なカタチに落とし込む時間をとるのはなかなか難しい。
何故なら、それが無意識化で実践可能なカタチで(おおまかにでも)理論化されていると気付けないからである。
スーパーニート状態だと自由な時間が沢山あるので無限に書くことができるが、そのような時に思いついて書いても、大抵カタチになっていない。そうすると小一時間無駄にしてしまったりする。それはそれで意味のあることなのかもしれないが、個人的にはなるべく一発で終わらせたい。
だから、時間を経て無意識化で熟成されるのを待たなければならない。そのタイミングとして1ヶ月というのは割とちょうど良い気がするのです。
月末の儀式の基本システムも組まなければならないな。カラオケに行ったり、散歩をしたり、やることが山積みだ。
なんか知らないうちに戦争が始まっていて、下手したら世界が終わるかもしれないなんて話になっているが、そんなことは言っても僕は僕の人生をやっていくしかない。
他人のことで悲しむ時間すら今の僕には惜しい。
加速していくことで結果的に救えるものがたぶんある。だからというわけではないが、どちらにせよ今僕が悲しんだところで何も変わるものはないし、目一杯加速して、ひとかどの人間になった先に、多くを救えることを信じて、今のまま変わり続けていくしか道はない。
来月も宜しくお願いします。
音楽
スーパーまったり