相貌失認の検査手法
人の顔を覚えられない、あるいは区別できない、ということについてそれなりに苦労して生きてきた。
ある時、相貌失認という概念を知り、必死に検索した。病院による説明、診断を受けたという人のブログ、症状を自覚している人のブログなどを読んだ。そして、診断を受けなかった。治療手法がないのなら、時間とお金をかけて診断を受ける理由はないと判断したからだ。
そして、今ふと思い出して「相貌失認」を検索したわけである。
ケータイあるいはスマホメーカーが日本語入力システムを与えてくれる時代は終わりつつあり、少々不便に感じつつも使用しているGboardは一発で「相貌失認」を変換してくれる。
目についた論文があった。
大石如香. (2022). 「若年健常者の相貌認知能力に関する検討」『神経心理学』 38(4), pp. 265-275.
顔の識別を苦手としていようとも、ここが巻末でないことくらいは理解できるものである。ただの手慰みというものである。
スマホ入力の手間からいって律儀に文献リストを作ることはないだろう。煩雑な書式に従うと、骨が折れぬまでも腱を痛めることは在りうる話だ。
Google検索の便利さを考慮すれば、タイトルをそのまま記したほうが見返しやすいであろう。著者名と年号だけ控えるのは心許ない(当然、文献リストを必要とする)ことから、今後はタイトルを主に記すこととなろう。
以下、メモ。
3つの検査手法を健常者に試みた、という内容である。
相貌失認を自覚する者として、どのような検査があるのか、どういった指標で判断されるかということに興味を持った。
自覚的な相貌認知障害の指標
•The 20-item pro-sopagnosia index(PI20)
→日本語版を使用
•Hereditary Pro-sopagnosia Screening Scale(HPSS)
→使用せず
他覚的相貌認知機能検査
•標準高次視知覚検査熟知相貌検査 第二版(Vis-ual Perception Test for Agnosia Famous Face Test,VPTA-FFT ver. 2
→使用
•Cambridge face memory test(CFMT)
→使用
•Cambridge Face Perception Test(CFPT)
→使用せず
PI20は相貌認知に関する自覚的な内容を5段階で評価させ、苦手さのスコアを算出するようだ。
考察には、日本人のスコアが高い(→相貌失認傾向)のは、自己評価を低くつけがちな傾向によるだろうとあった。
以下、感想。
VPTA-FFT ver. 2は日本の有名人の通常の顔写真と、髪や耳を除いた、いわばドラえもん写真を使用する。写真を見て名前を答える、名前に該当する写真を選ぶ、文字で書かれた名前と写真を結びつける、という3通りの設問があるそう。恐らく前者2つは「口頭で」名前を答えたり、あるいは読み上げられるのだろう。
結果には、有名人が既に有名でなく、若年者にとって既知でない例があったと書かれていた。考察においても、テレビ離れの影響が指摘されていた。
CFMTでは、白人男性(中立表情の)、左斜め方向,正面方向,右斜め方向からの画像が用意される。学習した顔と同一の画像を選択する、コントラストの違う画像や顔の向きの違う画像を選択する、ノイズのかかった画像を選択する、の3段階の設問がある。
考察にて、日本人の正答率は白人のそれより低いことが指摘されている。先行研究ではアジア人顔版の方が白人顔版より正答率が高いと報告されているらしい。
PI20は平たく言うと当人がどれだけ顔の認識を苦手だと思っているか、ということであろう。診断を望む人が受ける場合は、当然高いスコアを出すと思われる。
VPTA-FFTでは、名前(固有名詞の音または文字列)との結びつきを問われる。名前を記憶するのが得意か、普段からしているかという別の問題を含むので、相貌失認でなくても正答率が下がることはありそうだ。ただ、自分自身、十分見慣れた人のことは分かるという実感もあるため、その場で覚えられないことと、時間をかけても覚えられないことの区別の意味ではこうした試験が必要なのだと思う。設問の写真の刷新や世代に合わせた選定が必要な手法であることは想像に難くないし、有名人といっても特徴的な顔とそうでない顔がありそうなもので、選定基準もまた難しかろう。
CFMTに関して言えば、横顔の識別が特に難しいというか違和感があるという自覚があり、顔の向きを考慮した試験内容に納得した。(これは別の研究によるところであるが)人種により識別のしやすさが異なるというのは、洋画の登場人物が区別できず、ストーリー理解が推理を必要とする体験と合致する。ここまで極端でなくても、健常者もまた同じように苦手意識を持っているのかもしれない。
Scholarでさえなく、何気なく検索してこの論文を見つけた時、ひょっとして相貌失認研究も進んでいるのではないか、という期待を抱いた。(研究者がいる限りは日進月歩であると信じたいものである)