絶対にまた行くんだ、能登。
私は大学三回生の時に、石川県は能登半島で合宿で車の免許を取りました。
当時、就職活動前に免許くらい持ってなきゃという軽い気持ちで、親に借金して出してもらいました。
行ったら3月の終わり、雪はなかったが同部屋の人は雪がまだ残るころに来たから大変だったと言ってマニュアルの免許を無事にとって戻っていきました。
私は、当初マニュアルでとるつもりでしたが自分には無理と分かりオートマに変更。
そしたら一日もオーバーすることなくとれた。
その間、同部屋や他の部屋の人と仲良くなり、石川県は関西から免許を取りに来る人が当時多く、10代後半はワルだったが立ち直って二種免許取りに来たイケてるあんちゃんや、見かけオタクっぽいけど根性ある背の高い年下の人とかいました。
そして、忘れられないのが同部屋になった兵庫の人。確か30前位の人だったと思います。ファッションもきまっていて大型特殊を取りに来たガテン系の人です。キップが良くて、地元のスナックでおごってもらったりして嬉しかった。
そこでお姉ちゃんといい関係になれなかったのは私がぼんくらだったからです。
その人とはコマがない日が一緒だった日に、その人のスポーツカーで能登半島を一周するのにつれて行ってもらいましたがスピード狂でちょっと怖かった。
地元のラーメンも美味かったなあ。寿司屋は高かったけど。他の部屋の当時60代後半くらいのおじさんの身の上話を真剣に聞いていたらなんかすごく喜ばれて、いずれ忘れるだろうけどこんな男がいたと記憶していたら嬉しいと言ってくれて、今も忘れてないですよ。天国で笑っていてください。
(年齢的に多分お空でしょう、余計な推測)
能登半島を連れて行ってくれた人は合宿の終わりも同じ日で、私が大阪の南河内郡まで戻るというと京都まで送ってやると言ってくれて本当に圧倒いう間につきました、スピード早いから。
お礼の電話をしましたよ、すぐに、あちらはびっくりしてましたが。
当時携帯はあまり普及してなかった。
あの風景、体験、今の能登半島を観ると涙が止まらない。
私は毎月少しですが募金もしてるし、いつか復興したらいの一番に遊びに行くんだ。
宿泊先の名前とか忘れたけどとにかくあそこの土地にはかりがあります。かりは返さねば。
だから、私は今回の震災を決して他人事とは思ってません。
忘れられない土地だから。石川県の人、絶対に私は応援する、全力で。
以上です。読んでくださりありがとうございました。