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もっとお互いを認め合おうよ。

最近、カクヨムで小説を毎日更新して、疲れたので少し、エッセーに逃げます。
私は統合失調症です。事実です。障害者年金はもらえません。
家の家事労働、テレワークで生活費を稼いでます。まあ、私の中のこち亀のセリフ、「人生なるようにしかならない」という言葉を胸に抱いて生きてます。
実際、人生って一生平凡って絶対に不可能なのは誰しも少なくとも30になるまでに知ってしまう。
私も人生で少なくとも5回は死にかけました。交通事故三回、あとは諸々です。でも今生きている。だったら、発信する、そう決めてます。

私なんか、ただの映画ジャンキーだし、社会的に重要な人物でもない。ニートであり、ただの家事手伝いみたいなものです。
でも、人生に終わりがあることを知っている凡人でもある。
だから、挨拶、お礼、謝罪の大切さを知り、常に人に対して一期一会であれと思ってます。
今あった人が次に会えるかはわからない、人生とは残酷です。
だから、気の合う仲間には、「またね」と言って別れます。それがかなわなかった人もいる。

人生ってデジタルが導入されてからどんどん情報の洪水化してますよね。私は大学時代、決して携帯を持たなかった。卒業して、就職してから持ちました。まだ、カタカナしか送れないメールのやつです。

正直、ネットで己をさらすのは勇気とかどうとか、そもそも覚悟の問題だと思ってます。
SNS漬けの人は己を見失うのは分かりやすいですが、私はノートでXをすこしやるだけ。変態鬼畜小説をあげるためです。
やはり、発信力は利用しないと。どこでバズるかはわかりませんから。

今は確実に戦争状態の世の中、パリオリンピックが開会式前の不穏だけで済んだのは運がよかっただけ。勿論フランス政府の努力の賜物ですけどね。

世界は、争う。宗教、民族、思想、色々と。

私の大好きな映画、ロメロ師父のゾンビで、人間同士の争いはやめようやと言ってるのに結局争うのは業ですね。

人は所有欲の為にかなり残酷になりますから。だから、ゾンビは永遠のマスターピースなのだ。

今の私は断捨離をしています。映画観に行ってもパンフはほとんど買いません。処分に困るから。
結婚とか子供とか、10代の頃からそういう願望が全くないからコレクターとしてはきちんとやり遂げて去りたいのです。

曾野綾子さんのお母様が、ほとんどのものを処分してこの世を去ったのにあこがれているんでしょうね。潔い。

ブラジルではXを禁止したら暴動が起きたそうですが、人の名誉や人格を棄損する可能性から国民を守る可能性が高いのに、人は愚かだ。

勿論この文章もXにあげます。発信力が違うから。でも、正直、明日からPCもスマホも禁止と言われたら逆に安心しますね。
30年前には使いこなしてる人なんかいなかった。絶滅危惧種だった。

ブラインドタッチをほとんどの人がマスターしているのはスキルの上昇だとは思いますが、ゲームのプログラマーが家にPCなくて、シナリオライターとか監督が家に仕事を持ち帰る為にPC漬けというのを読んだことがあります。

ICT教育は失敗です。初めからわかっていた。紙に鉛筆か、シャーペンで書いて覚えるのが一番妥当、当たり前です。
それか、眼に入る家の景色に片っ端からメモで記憶するべきことを張っておく、中学の先生に教わりました。

明らかに、デジタル中心の人こそ根気や気力がなくて、デジタルと無縁な人が余裕なんて、初めからわかっていたことです。

怒りっぽく、いらちな人、それはデジタルが作る。

私は一日の三分の一はスマホの電源は入れてません。PCも仕事と、少しするくらいで古本屋で買った本や、ゲーム、映画の為の時間を大事にします。

固定化された文化は価値がありますから。

まあ、色々書きましたが、要は、汝の隣人を愛せですよ。

アンデシュ・ハンセン氏の本を全て読みましたが、彼の本の結論は、動いて人と協力して新しいものが生み出せるです。
そりゃそうだ、人は人と対面で出会ってこそ可能性が無限になる。

だから、私は絶望しない。人は人を救えるし、人生も、人類も悪いもんじゃないからです。いきてるだけでまるもうけ。いい言葉です。

私達は奇跡の存在、今この瞬間、素晴らしいのです。

要点を得ず、くだらない文章を読んでくださりありがとうございました。

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