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【長編小説】もう一度あなたに会うために(41話~45話)

2024年。再婚したあの人と暮らす生活はすごく幸せだった…。それなのに突然過去に戻ってしまった私は、もう一度あの人に会うために、忠実に人生をやり直すと決めた…それが例え、辛い過去だったとしても…

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後編 あの人に会ってから

41話 元夫は…

長男は離婚して浮気相手と住み始めた…

結婚する気はないと断言していたけど…

ま、その通り。

その女とは腐れ縁みたいだったが終わる。


それから

元夫の知り合いから連絡があって

元夫が出所したと聞いた。

「元夫が長男と連絡を取りたいから電話番号を教えて欲しいと言っているけど、どうする?」と…

私は、長男に連絡した。

長男は、あっさり「教えていいよ」と言ったので

知り合いに教えた。

その後、長男に聞くと

お父さんから電話があって、会ったと…

「元気そうだったよ。自分が離婚したことを話した」

「親子だね…」と話をしたと言っていた。


私の方は…

あの人と半同棲になっていた。

あの人が仕事を終えて

家で事務仕事をしてから家に来て

ご飯を食べて寝て、朝はうちから出発する。

荷物も、どんどん増えて行った…


私達は、大人だけど…

結婚のきっかけが無く…

なかなか結婚できずにいた。

子どもが出来たらみたいに思っていたけど

私は、完全に高齢出産…

リスクが大きい。

実際、お互いに子どもはいるけど

出来にくい体質となっていた…


ある日、新聞を見たら

また、見たような名前…

元夫だった。

知り合いから連絡があった。

出所して、あのママの所に戻っていたけど

若い女にはまったのか…

そこで捕まったと…

私は、別れていて本当に良かったと思った。


それから暫くして

今度は新聞に、あのママが出ていた。

他の男の人と一緒に捕まったようだった。

どうなっているのか…

私にはどうでもよかったけど…

子どもがどうなるのか気になった。


後日…

知り合いから聞いたのだけれど…

元夫とママの子どもは

ママの元旦那さんが預かっていると…

私には、考えられなかった。

私が、二人の子どもを預かるのと

同じことだよね…

私には、到底無理だ…


それから、月日は流れ…


私とあの人は半同棲のままだったが…

あの人が、中古だけど車を買ってくれた。

独立した時に、愛車を売って

仕事のトラックだけになっていたのもあるけど…

私は、免許を取ってから

乗らなかったら、ペーパードライバーになると思い

定期的にレンタカーを借りて運転していた。

それで、私名義で車を買い

生活保護も、辞退した。


それから車で毎週末、親友と一緒に出掛けたり

楽しい日々を送っていた。


あの人は、たまに不安定になり喧嘩することもあったが、

前よりは回数も減っていた…


二男が中学生になり、テストの点を見て成績がヤバいと知った。

それで塾に行かせようという話になり

あの人が塾代も負担してくれることになった。

それまでも、食費とかを毎月貰っていたけど…

ここまでお金を入れるなら

広い家に引っ越した方が良いのではないか

という話が持ち上がった…


私は、父に付き合っている人がいると話をした。

そしたら会ってみたいと…

あの人は緊張すると言いながら会ってくれると…

父と後妻さんと私とあの人と二男で食事に行ったのだが

父は、すごく嬉しそうにしていた。

父は後で、「再婚しないのか?」と言ったけど、

私は「まだ分からない」と答えた。

父は「早く再婚した方がいいと思うけど…」

と、心配そうにしていた…


そんな時…

また新聞に元夫が載っていた。

今度は、職質されて捕まったと載っていた。

しかも、元夫はすごく近くに住んでいたのだ…

本当に懲りない人…

いったい何度目の逮捕なんだか…

私といる間だけでも、確か…5回?

その前にもあるみたいだし…全部で8回?

ある意味、可哀想な人…

覚せい剤って本当に怖い

人間やめますか?それとも覚せい剤やめますか?

ってあったけど…本当に人間、終わってる…


覚せい剤は、本当に人間をダメにする物だと

つくづく思った…

結局、何回人生をやり直そうが、元夫は変わらない…

元夫が私に覚醒剤をしなかったことは、改めて良かったと思う。

42話 あの人のお父さん

あの人のお母さんは

男を作って出て行ったこともあって

お父さんと二人で生活していたこともある。

でも、両親が離婚してから

親戚の家に預けられて

そこで虐待されたりした…

その後で、お母さんの再婚相手の人と

一緒に住んだそうだ。

お父さんは、離婚後

大手の会社を辞めて…

お母さんの再婚相手の仕事に来て

あの人も一緒に働いたこともあるという…

複雑な環境だったと…あの人は言っていた。


お父さんが居なくなった後

お母さんの再婚相手が

病気になって、病院代を稼ぐために

あの人は、昼夜働いたり…苦労したそうだ。

結局、そのお義父さんは亡くなった…


お母さんは、その後

また再婚して、家を出た。


あの人は、そんなお母さんのことを

大嫌いだと言って、あまり関わらないようにしていた。


それでも、家を買う時には

お母さんに頼んで、頭金を出して貰った。

私は、その時に

初めて、お義母さんに会った。

結婚にも賛成してくれて

私は、そんなに悪い印象を持たなかった。


お父さんとは、大人になって

一度、すれ違った程度しか

会ったことは無かったそうだ…


私達が半同棲になっても

あの人は毎日、自分の家に寄っていた。

その時に、留守番電話に

同じ番号が、何回も入っていた。

何日も続いたが、やっと留守電メッセージが入っていて

それを聞いて驚いた。


電話は警察からだった…

お父さんが、孤独死していたそうだ。

それで、息子のあの人に何度も連絡していた。


あの人は、警察署に出向いた。

お父さんは、家で孤独死をしていて

大家さんが、家賃が入らなくなったので

見に行ったら、亡くなっていた。

一月くらい経っていたそう…


それから、あの人は

マンションにも行った。

その時に、初めてお父さんが

そこに住んでいたことを知った。

お父さんの所有物を見ると

病気になっていたようで…

それが原因で亡くなったと思われる。


葬儀は「直葬」というのにした。

警察署から直接、火葬場に行って貰った。

その時には、あの人の息子も一緒に行った。


私は、その時はまだ再婚していなかったし

息子さんにも会ったことが無かったから

行かなかった…

遺骨は、家に持って帰った。


お父さんは、定年退職した後

年金生活をしていたようだが…

病気になって、年金でも足らなくなって

最後には病院代も払えなくなって

病院に行けなかったのではないかと

あの人から聞いた。

他にも分からない借金があったら

いけないからと…

司法書士事務所に頼んで、相続放棄もした。


あの人は、お父さんと

連絡を取っていればよかったと後悔した。


だから、お母さんには

家を買った後に

遊びに来て貰ったりして

連絡を取るようにしていた…


私が、知っていることは…

その後、お母さんと連絡が取れなくなる。

携帯電話に電話をしても出ない。

今の再婚相手とは、あまり面識もないようで

連絡が出来ないでいた。

お母さんも病気だったから、

いつどうなるか分からない…

何かあっても、再婚相手の人から

連絡が来るか分からないと言っていた。

そのまま、連絡が取れないまま

何年も経過していた…

これが、私が57歳までの記憶…


あの人は、複雑な幼少期を過ごして来て

心の底に闇を抱えている。

それが、たまに爆発するのか…

鬱なのか…

たまに冷酷な人になる…

それでも、普段が優しいから

私は、嫌いになれなかった…

ある意味、DVされている人みたいな感覚なのかもしれない…


お父さんの経験が…

先で役立つことになるのを

1度目の人生で私が知るのは、まだ先の話…

43話 元夫からの手紙

私は、会社を辞めた…

私の部署の同僚を会長が辞めさせると

動いていることが分かって…

課長が会長に「辞めさせないで欲しい」と直談判に行った。

それでも聞いて貰えず…

会長とも付き合いが長い同僚が

会長に会ってもらおうと思って電話をしたが…

断られ…それをきっかけに

課長と同僚の二人も、辞めさせるように

異動させられることになった。

結局、三人は退職した…

私とパートの人は会長に呼ばれ

残って頑張って欲しいと言われた。

でも、残る気は無かった…

パートさんも理由をつけて辞めた。

私は、再婚して旦那の仕事を手伝うことになった

ということにして退職したいと告げたが…

引継ぎがあるから3か月待って欲しいと言われた。

一人残され辛かったが、なんとか引継ぎを終えて

会社を辞めた…


私は、事務の仕事は歳を取ったら勤められないかもしれない…

と思い、会社にいる間に

ヘルパー2級を取得した…


週末になると、あの人と家を見に行った。

最初は、遠くでも二男を転校させても安い家を…

と思っていたが、中学3年で転校は可哀想だと

話し合って、近くを探していた。


私は、子どもの頃から保育士になりたいと思っていたが

自分が子どもを産むことになってしまった。

子どもに関わる仕事がしたいと思い…

障がいを持つ子どもを放課後に預かる仕事に

就くことにした。

オープンから入ることになり…

仕事を頑張りつつ…

あの人と家を探して…

ついに家を決めた。


それをきっかけに再婚しようと話した。


引っ越しの準備をしている中…

ポストに見覚えのある字、封筒…

元夫からの手紙だった。

「あの時は本当にすまなかった…(中略)

文通をして貰えないか?それと、せめて二男の写真も送って欲しい」

と書いてあった。

確定まで時間が無いので返事は早めに欲しいと…


二男に「お父さんが写真を送ってと言ってきたけどどうする?」と聞いてみたが…

恐らく、あの人に遠慮したのだろう。

「送らない」と言った…

もちろん、あの人にも手紙は見せて

返事をすると話した。


私は

「再婚することになったので、もうあなたには何もしてあげられません。でも、二男があなたに会いたいと言った時の為に、ちゃんとしたお父さんになっていて下さい」

と書いた…

それを書きながらも…なぜか涙が溢れた…


知り合いに元夫から手紙が来たと連絡した。

すると、元夫はママと離婚していた…

一人になっていると…

結局、一人になっているのか…

罰が当たったんだね…と思った。

引っ越しの整理をしている時に、押し入れの奥から

今まで私が元夫が収監中に送った手紙

元夫から送られて来た手紙が大量に出て来て…

これまでの歴史を感じて、悲しくなった…


それから、私は引っ越しをして

新しい家での生活が始まった。


そして、二男が高校に入る前に入籍して

高校に入った時に名前を変えようと

私達は、やっと再婚した。

ここまで7年掛かった…


父たちも乗せてお墓参りに行けるようにと

中古の大きな車を買った。

そして、父を家に招待した。

父は本当に嬉しそうで…安心したようだった。

親孝行できたかな…


それから

私は仕事が忙しく…休みには疲れていて

父に会いに行くことが、なかなか出来ないでいた。

年末には、一緒にお墓参りをしたのに

父の身体は、いつの間にか弱っていて…

お盆には、一緒にお墓参りに行けなかった。

だから後妻さんと一緒に墓参りに行った後

父の家に行って、久しぶりに父に会ったが…


父は、すっかり痩せてしまっていた…

44話 父の死

父は、少し前に小さな胃がんが見つかって

手術して切除していた。

それが原因で痩せたのかと思ったけど…

食べたくても食べられないから痩せてしまったらしい。

父は、私に

「生命保険は、ゆうこの名義にしているから、もし自分が亡くなった時に、こうしてとか、ちゃんと話しておきたい」

と言ったのだけれど…

私は、そんな事を考えたくなくて…

「今度ね」と言ってしまった。


私は、これから父が亡くなることを知っている。

亡くなった時に、もっと会いに行けば良かったと

後悔した…

行けなかった日に父に会いに行っても

未来は変わるのかな…

もう、あの人と再婚できたし…

会いに行っても変わらないのでは?

と思っていた。


1度目の人生で、父が亡くなる少し前に祝日があって

その日に会いにいこうとしていた。

でも、前の家の隣のおばちゃんが

家に遊びに来ると言ったから、無理だなと諦めていた。

結局、おばちゃんは来ず、電話をしたら

おばちゃんは「今日だっけ?忘れてた…ごめん」と言った。

父に会いに行けば良かったと後悔した。


せめて、あの日に会いに行こうと決めた。

そして、あの日…

私は、二男を連れて会いに行った。

その時にも、父はもう元気がなく…

横になっていたけれど…

他愛無い話は出来た。

会いに行って良かったと思った…

でも、後妻さんがいて父が死んだ時どうするかの話を

することは出来なかった…


これで、未来が変わってしまったらどうしようかと

心配になったけど…今度は後悔したくなかった。


それから、暫くして後妻さんから

連絡が来た。

父が、わけの分からないことばかり言って

後妻さんの言うことを聞いてくれないから

来て欲しいと…

私は、次の休みに行くと答えた。

でも、その前日に

後妻さんから連絡があって

入院したと…

私は、二男を連れて慌てて病院に行った。


病院に行ったら、父は動けないけど

口は達者で喋っていた。

私から食べるようにと言って欲しいと言われ

父にお粥を食べるように言ったけど…

なかなかだったが、口に持って行ったら

食べてくれた。


医師からは、このまま食べられないと危ない。

胃ろうするしかないと言われた。

父に「食べないと死んでしまうよ」と話すと

「わしだって死にたくないよ」とつぶやいた…


後妻さんから、お金の場所を聞いて欲しいといわれたから

聞いてみたが、ちゃんと答えてくれた。

父は、私がいない間に二男に

「お母さんのこと、頼むよ。守ってやってくれ」

と言ったと、後で二男から聞いた。


翌日、私と後妻さんは入院代のこともあるし…

家に行ってお金を探した。

その後、銀行回りをしたけど1か所だけ

通帳記入出来ない通帳があった。

その間、兄嫁が来て父を見ていてくれた。

私は翌日、会社の給与の振り込みをしなければいけなったから

午前中は、会社に行った。

午後から、病院に行ったら後妻さんが

「あの通帳、1万ちょっとしか入ってなかったよ」と…


一人で銀行に解約をしに行っていたのだ…

後妻さんは、お金に汚いと父は言っていたが

本当だったと、兄嫁と顔を見合わせて驚いた。


その夜、父は元気になっていたそうだが

翌日には、だいぶ喋れなくなっていた。

長男が彼女と「今おじいちゃんに会いに行ってきた」と

連絡して来て「今から家に行っていい?」と家に来た。

一緒にご飯を食べていたら

後妻さんから連絡があって、父が危篤だと…

長男と二男と病院に向かった。

行った時には、もうほとんど意識は無かった…

後妻さん、兄、兄嫁、甥っ子、姪っ子2人、長男、次男、私…

勢ぞろいだった。

みんなで、父に声を掛けた。

私は、意識が薄れていく中、父に

「二男も来てるよ」と言った。

その時、かすかに父の目が動いた気がした…


その後すぐ、父は亡くなった…

45話 遺産相続

後妻さんは、父が亡くなった時に

「ふん、あっけないもんだね…」とつぶやいた。


それからみんなで葬儀場に向かった。

そこで勧められた

「湯灌」という遺体を湯で清めてくれる儀式を

私がお金を出すからしてあげようと提案した。

父は、暫くお風呂に入ってなかったみたいだったから…


お通夜までの間に、葬儀屋さんから

死亡届けの提出や火葬の話

お坊さんの手配などの話を聞いている時

私は、父の亡くなった日が

1回目の人生の時より1日早いことに気が付いた…


確か父は25日に亡くなったはず…

それが24日になっていた…

なんで?

もしかしたら、父に会いに行ってない日に

会いに行ったから?

出来事を変えてしまったからかもしれない…


やっぱり変えられないんだ…

と思い知った…


お通夜が始まって少しした頃

親友が来てくれた…

親友も父と一緒に遊びに行ったりしていたので

悲しんでくれた…

そして、親友が帰るのに

私が送って行くことになり行こうとすると…

後妻さんが私も帰ると言い出した。

みんなびっくりして顔を見合わせた。

その場に馴染めないのは分かるけど

父のお通夜なんだよ

と誰もが思ったはず…

仕方なく送って行ったけど…


喪主は兄がした。

葬儀は、父の会社関係の人も来てくれた。

親戚も来てくれ、父の思い出話をしながら

和やかに葬儀は済んだ…


父の生命保険は私が受取人になっていた。

父から葬儀のお金はそこから出してと言われていたから

私が出すことにした。

葬儀が終わって、後妻さんを送って行って

落ち着いた時

後妻さんが、香典を数えておこう

と言い出した。

私は、あの人と顔を見合わせた。

ま、葬儀代は私が払うし…

香典から香典返しもしないといけないから…

そう思って数えながら記録してから帰った。


兄、兄嫁、私、あの人で

話し合って、お金もマンションも

後妻さんにあげようと話していた。


年金の停止とか色々と手続きをしないといけないから

会社を数日休んで、後妻さんと手続きに向かった。

国の葬儀費用の手続きをしたけど

それは後妻さんにあげると言った。

一緒にいる間、後妻さんは父の良い話を

一切しなかった。

悪口ばかり…

年金事務所に行った時に

遺族年金の手続きをした。

それから、後妻さんの年金が貰えるかどうか

調べてくれたけど…

後妻さんは、年金保険料をほとんど

払ってなくて貰えないと言われた。

それでも、遺族年金が12万入る。

その後、一緒に車に乗り込んだ時…

後妻さんは…

「保険金も、ゆうこさんの名義にしてからねー」

と怒って言った。

私も流石に腹が立って

「そんなこと言っても遺族年金が12万あるならまだ、いいんじゃない?
国民年金なんて月に6万とかしかないんだよ。」

「兄がお金もマンションも全部、後妻さんにあげると言ってるけど気が変わったらどうなるか…」

と言ってしまった。


誰もが、父をもっと早く病院に行かせてくれていたら

もっと生きられたんではないか…と思っていた。

介護もベットを高くしたり、雑に行われていた…けど

面倒を見てくれたからと思っていた。

なのに…父が亡くなって感謝の言葉も全くない…


父は後妻さんと知り合って

後妻さんの仕事がなくなるから生活出来なくなると聞いて

一緒に住もうと家に連れて来た。

後妻さんは年金も貰えなくて困っていた。

嫌なこともあったかもしれないが…

父がいたから、これまで生きて来れたんでしょ…

なのに感謝している態度ではなかった。


私は、思わず…兄に電話をしていた。

後妻さんに言われたこと…態度

すべて話をした。

兄も怒って…

やっぱり遺産相続は法定通りにしようと言った。


私と兄は、後妻さんに会いに行って

それを告げた…

後妻さんは、文句を言っていたけれど…

私と兄の意志は固かった…



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