溝のような数日間でありました。 幾度となく繰り返して、それでいて毎回新鮮に苦しいいつもの時間を過ごしました。 動悸、涙、ごめんなさい、消えてしまいたい、憎い、楽になりたい、助けて、もういやだ。 具体的には11月5日から心が乱れ始めて、特に8~9日の2日間がしんどかったです。 ちなみに当時の一部の様子はこちら↓の日記から確認できます。 noteと内容は概ね同じですが、ご興味ありましたら。 今は振り返るだけの心の余裕ができたのでこの記事を書いています。とは言ってもまだま
現時点で私から見た家族の理解についてを書きたいと思います。 私の家族は両親2人と上に1人の4人家族です。 それと父方と母方それぞれ両方の祖母が別のところに住んでいます。 私の今の状態を一番理解してるのは母と母方の祖母です。 母には一番助けてもらっています。ぐずぐずになって泣いているところを何度も見せてきました。 今も、調子が良くないのを察して、お菓子を買ってきてくれます。(私は気分が落ちると甘いものしか食べなくなります) また、自分の気持ちを話せることも大きいです。気分
忘れない内に書いておきます。 私の記憶の限りでは、病院の先生に「うつ病」と明言されたのは最近のことです。それも「おそらくうつ病である」といった曖昧な表現でした。 初めてメンタルクリニックを受診したときは、話を聞いてもらって薬を処方してもらいました。 就職した4月時点では、薬と休養のおかげでうつ症状が治まっていました。しかし半年後、休憩に入る直前に急に「ダメだ」と涙が止まらなくなりました。仕事を続けられなくなり、辞めるときに病院から診断書を受け取りました。そこには「抑うつ
どこから書けばいいのやらといった調子ですが、SNSの呟きの延長みたいに、とりあえず書きたいところを書き出したいと思います。 実家で家族に支えてもらいながら、あるいは脛を齧りながら過ごしています。 何も出来ないから、何かしなければ自分になんの価値も無い。そんな焦りから、家事をやったり、たまに実家の手伝いをします。 家事と言っても、洗濯機を回すだけ。洗濯物を畳むだけ。それをしまうだけ。数日おきに溜まった食器を洗うだけ。 実家の手伝いといっても、前までは毎日1時間ほどの仕事を手伝
初めてnoteを登録しました。 ここでは、自分の考えたことや感じたことをありのままの自分で書いていきたいと思っています。 私は約2年ほど前から、月イチでメンタルクリニックを受診しています。 2022年の秋頃。あと数ヶ月で大学を卒業する、そんなある日に、突然涙が溢れて学校に行けなくなりました。そこで「抑うつ状態」と診断されました。そこからなんやかんやありつつ大学卒業、就職、退職を経て、現在。実家で療養中、といった感じです。 今現在も、気分の落ち込みとちょっと前向き?の波を繰