2年目 仕事がない
ブラック非常勤講師は1年間で辞めることにしました。いちおう、勤務先からは慰留されましたが、地元に帰ることにしました。教員するなら、ある程度の土地勘というか、地域の事情が分かっていた方がやりやすいと思ったからです。
Uターン臨時採用的なキャンペーンをやっていたので申し込みました。仕事は必ずあるということで3月中旬の連絡を待っていました。しかし、その教育委員会からの電話に愕然とさせられます。
教育委員会「あのー、来年度の臨時採用のことについてですが・・・」
わたし「はい」
教育委員会「あなたの希望する仕事はありません」
わたし「え、どういうことですか?
教育委員会「だから、仕事はありません」プツッ
引っ越しの準備もしていたので、地元に帰りました。こうなると履歴書を送れるだけ近隣の自治体に送りました。しかし、特別支援の免許がない、小学校の免許がない、と条件に合わず、モラトリアム再開でした。
思えばこの時間に、思いっきり勉強しておけばよかったのですが、後悔先に立たず。ぼーっとしたまま半年が過ぎました。
この年は地元の教採初受験しました。結果は1次敗退でした。同時期に受験していた県庁はなんと2次も突破し最終まで残ったものの敗退でした。
そうしていると、地元教育員会から電話が。10月から産休育休で欠員がでたと。やりますと二つ返事でしたが、問題は高校ということでした。何が問題かって、しばらく勉強から遠ざかっていて、知識はほぼ抜けきっていました。しかし、やっとあり着いた仕事です。しかも1年半は堅いとのこと。その日から勤務スタートまで猛勉強を始めました。
冬も近づいてきたころに、県下有数の進学校での常勤講師として勤務を始めました。前年の非常勤講師と異なり、なんと恵まれているのかと感謝の気持ちでいっぱいでした。わたしのモットー「休まず、目立たず」でハラスメントの餌食にならないようにしながら働きました。同僚の方々はみなさん良い人ばかりでした。
しかし問題が。そうです。教科指導です。全くと言っていいほどダメでした。生徒からも苦情山積。産休に入った先生は人気ナンバー1の先生で、指導力もすごかったとのこと、代替がヘボ過ぎて、こりゃどうにもならんと。その結果、年度替わりで別の学校に勤務することになりました。わたしも、この計らいには感謝しました。おそらくあの感じで続けていたら遅かれ早かれつぶれていたと思います。そのときの生徒には申し訳ない気持ちでいっぱいで、教科の勉強を続ける原動力にもなりました。
常勤教員1年目で学んだこともたくさんありました。分掌があるということ(雑用も仕事だということ。頼まれたことを引き受けたら嫌われないこと)。有休があるということ(非常勤でもあるんですけど、使えなかった)。定期試験を作るということ(ワードの使い方を学びました)。
ルールを守るということ(休まない。法を犯さない。など当たり前が大事)。半年足らずですが、多くのことを学べたと思っています。