5年目 キラキラ
県内の中心から離れた専門高校でたくさんのことを教わり学んだ1年。そこに後ろ髪を引かれながら、新たな学校での生活をスタートさせました。私のいた自治体は常勤講師にも2パターンあって、1つのところが長い人(当時はmax3年でした)と、コロコロ変わる人に分類されていました。採用試験での倍率が20倍付近にずっとあったことから、講師がほぼ減らないんですね。だから採用試験も毎年ほぼ同じ顔ぶれ。だいたい2人の採用で、新卒がそこに入ると、講師の数は安定的に増えていきます。その頃は、ブラックというのはそこまで指摘されていなかったんですが、少なくともあれだけの数(採用試験受験の年齢制限があり、試験を受けない常勤講師がいました)の常勤講師が現場にいたというのは今となっては驚くべきことですね。
さて、町場の普通高校での勤務です。担当は1年部、分掌は進路、部活は運動部副顧問。普通高校でかつ町場だったので教員数も多く常勤講師が部活正顧問というのはありませんでした。そりゃ、いつまでいるかわからない人が正顧問とかちょっとおかしい。そういう体面的なところが規模の大きな学校にはあるのでしょうか。大きな不安を持つことなく新年度をスタートしました。前任が専門高校ということで、教科指導を不安視する先生もいましたが、その専門高校でけっこう勉強したので不安とか気おくれみたいなのはありませんでした。実際、授業とかで苦情とかクレームとかほぼありませんでした。体感ですが、やはり教科指導って、その教科の勉強(準備)にあてる時間と比例して生徒の評価(アンケートなど)につながるのかなと思っています。もちろん「授業」への最低限の慣れだったり、生徒のリアクションだったり生徒のレベルを見極めたりする力はいるとは思うのですが。それはある程度の経験で身につくのではないかと思っています。
授業に部活に課外指導(普通高校で規模が大きいと、個別に受験指導みたいなのがありました)と精力的にがんばっていました。受験指導とか今まであまり経験なかったので、ずいぶんハマりました。参考書や大学入試の過去問を買って、どういう指導がよいのか日々試行錯誤していました。ビギナーズラックもあったのか成果もそれなりに出たのでずいぶん自信にもなりました。管理職の先生からもずいぶんほめてもらい、「早く受かって、即戦力として働いて」なんて言われてさらにやる気になったりと、充実していました。
そして、教員採用試験。1次試験を受け、無事突破(その当時は講師への1次試験免除や加点などの優遇はもちろん、前年合格の負担軽減とかなかったですね)。2次試験です。面接に小論、模擬授業と難なく行けたかなと思い手ごたえもあったんですが。不合格。評価はオールB。この結果を重く受けとめるべきだったと反省しています。1回目の2次でうまくいかないのはわかる。しかし、同じような試験を2回やって、準備もしっかりやった(と思っていた)のにダメだった。来年、3度目の正直にというのは甘過ぎでした。事実わたしは拗らせてしまうので。ここからながーい負のスパイラルに入っていきました。あの時に戻れたら、来年は他の自治体も検討すべきと言いたいです。教員を生業にするのであれば「正規になる(教諭になる)」というのは生活の安定やキャリアアップ上とても大切なことだし、講師を長く続けても良いことってあまりないんですよね。講師を続けて喜ぶのは、その自治体だけです。人件費が抑えられて、埋まらないところにあてがえばよい、そして使えなかったら次年度捨てればよいので。わたしはこのあと数年間「講師の闇」の部分を体験することになりました。この時の経験が今につながっているんですが、とは言え、ずいぶん苦しめられましたね。
採用試験に落ちたものの、充実した生活を満喫していたらあっという間に年度末になりました。それまでのところで「ぜひ来年もここで働いてほしい」と校長に言われていたのですっかりその気でいました。そして、その瞬間は突然訪れました。3月のある土曜日。土曜日だけど授業をしていました。そこそこの規模の学校だったので、ピンスポット的に土曜日に補習があるんです。その補習を終え、それなりに手応えを感じ、「次年度もこの子たちに教えられたらいいな」と思っていたまさにそのとき。教育委員会からの電話がありました。
教育委員会「○○さんのお電話ですか?」
わたし「はい」(来年度も引き続き・・の話かな)
教育委員会「4月から常勤講師をしていただきたいのですが可能ですか?」(勤務先を言わないんです。まずは講師をやるかを聞きそのあと勤務先。あまり誠実ではないですよね)
わたし「はい。」
教育委員会「そうですか、ありがとうございます。勤務先ですが、××高校です」
わたし「え」(膝から崩れ落ちました。だって××高校って僻地しかも僻地のなかでもスゴイ僻地なんですから。わたしとか、その県に生まれ育っていても行ったことがなかったのです)
わたし「すいません。××というのはあまりに唐突です。他に空いてるところないんでしょうか?」(気が動転して聞いちゃいました)
教育委員会「チッ」と舌打ちのあと「ありません」(この舌打ちの感じとイラ立ちをしっかり込めた「ありません」は今でも鮮明に覚えています)
わたし「即答できないので2~3日待ってもらえませんか?」
教育委員会「こちらにも都合があります」
わたし「わたしも心の準備を含めて、じっくり考えたいです」
教育委員会「ここでお受けしていただけませんか」
わたし「すみません。待っていただけないのなら他の方にこのお話を回しても文句は言いません。また他言もしません」
教育委員会「では2日後に電話をおかけします」(不機嫌な感じが分かりました)
まさに青天の霹靂。たしかに講師で僻地勤務の人もいます。しかし、わたしはこのタイミングでなんで・・・と思いました。採用されて正規の立場であれば辞令は拒否できません。しかし、講師ですよ。拒否する権利はあるはずです。ここで話を拒否したらどうなるか、を考えてみました。気が動転していたので被害妄想が拡大し、超ネガティブマインドになっていました。
僻地を嫌がったら、採用試験に不利に働くのではないか。この部分は現在からするとあまりないかなと思うのですが。当時はこれきっかけで受からなくなるんではないかと本気で思いました。まぁ、ここで心機一転3か月しっかり勉強し、他県を含め教採ツアーに出ても良かったのかもしれません。わたしは、考えがまとまらず、信頼していた先輩や友人に相談しました。僻地の勤務はある程度仕事ができる人にこそまわってくるから、ある意味チャンスだと諭され、そして継続は力なりでここで教員歴を途絶えさせないほうが良いと励まされ、僻地勤務を決意しました。教育委員会からの確認の電話を受けたときの「そうですか」のうれしそうなこと、他にやるひといなかったんだろうな。
ここでまた引っ越しの準備です。年度末はドタバタでした。この間、県のHPをみたら講師急募の記載がありました。県下一の進学校で私の教科の募集をしていました。「こっちの方がいいな・・・」と何度も思いました。ここから数校に渡って、わたしは講師の闇の部分を知ることになります。非正規採用の苦しさ、不合理さに関して言えることは、ここを改善しないと今後の教育は成り立たないでしょうということです。このシステム整備なしにして、抜本的な改革とかないですね。また、現状に胡坐をかいて、非正規職員をいいように使う人たちは、必殺仕事人の世界ならきっと・・・ですね。そのくらいの闇はあるなと思っています。次回から闇シリーズに突入します。