9年目 結末

 トンデモ進学コースの結末について書きます。そもそも原案はマンガ(ドラゴン桜)で、具体的なプランはナシ、都合の良いタイミングで入社したことが主な理由でスタートした話。広げに広げた風呂敷は大きかったですが、実態が伴わなかったというのが率直な結論ですね。当たり前ですが、難関大しかも国公立難関大は、並大抵の努力では突破できません。中学レベルをしっかりマスターして、高校レベルをコツコツ着実に取り組んで、それで受験できるかどうかという話ですよ。共通テスト&2次試験に耐え得る学力ってそう簡単には得られません。それを基礎の部分が大きくかけた状態から3年で・・・というのは非現実的です。埋もれた天才がいて、その発掘ができた場合に可能性が出てくるかもしれないですね。社会状況が、高校進学率が低く、家庭の事情で中等教育が受けられない層が一定数いる場合には、もしかしたら・・・そういう生徒いるかもってなるのかもしれません。しかし、日本の高校進学率や少子化で生徒の絶対数が少なく、「手がかけられていないために学力のついていない子」って、まぁいませんよね。
 そうした点を踏まえると、生徒の努力が続かない、モチベーションが低い、という実態も安易に攻めることはできません。言うならば彼らも被害者なんですね。「このコースに入ったら難関大(しかも宣伝のとき、つまりは説明会では東大・京大・医学部ですからね)に入れる」を真に受けたのです。達成するにはすべての時間を勉強に捧げるくらいの意識で高校生活を過ごさなければならなかったのですが・・・、できませんでした。放課後や土曜日の補習があったのですが、反発が大きかったですね。本人たちのためと思って基礎から(いや基礎の基礎から)学びなおすはずが、家の都合、体調不良が続出でした。補習は1年次は英数国、2年中盤からは理社(文系は社会、理系は理科)と思ってたんですが、1年次で解消しました。欠席率の多さから、担任以外の教員が指導を拒み始めました。手当てのお願いを校長や理事長に直談判しましたが、叶わず。1年次冬には、担任の私が英数国をやってましたね。2年次の予定分や理社は、「自学でやる」という本人たちの意志(ウソ)を尊重しました。結果、学力はつかないまま、高3に進級してしまいました。進研模試で偏差値30台がほとんど、40台に数名、50台2人でした。難関大はおろか、国立大進学さえ厳しい状況でした。ここで起死回生の大逆転プランが浮上しました。
 国立から難関私大にシフトチェンジ作戦でした。教科数を減らせばやる気になるのではないかという安易にもほどがある発想でした。しかも担任の私に相談なしで、この仰天プランは生徒の知るところとなりました。「いやいやちょっと待ってよ」と思いました。今までの取り組みは何だったのか、そして、この案が達成できるほど学力ないんですよ。そんな思いで高3スタートです。3教科に絞って時間割が組まれるという私学ならではのバックアップもありましたが、やはり生徒に継続力というか粘りがないんですよね。学力を上げるにはコツコツやるしかないんです。教科を減らしても、その部分は変わらない。「私立文系に絞る→英国社だけを死ぬほど努力する」なんですが、生徒たちは「努力がイヤ」なんです。英単語を覚える、文法問題を解く、長文を読む、地歴の教科書を読む、用語集を読む、ノートを作る(買う)、覚える、現文も毎日解く、古文単語と文法をやり込む・・・とすべきことはたくさんあります。決して楽になったわけではないんです。しかし、やりたくないんだから仕方ありません。起死回生プランは、空振りになりました。これが夏。そこで「勝負あったな」でしたね。あとはもうひどいものでした。
 周囲の生徒が、推薦や総合型で進学先を決めていくことに影響され、自分たちもそんなふうにしたいと。これが10月。付け焼刃の志望理由書や面接プランで敗戦を繰り返していきました。驚いたことにこれでも合格する生徒がいるんですよね。公立短大で、「小論文の設問にわからない漢字がたくさんあった」という生徒が合格していてびっくりしました。あとは惨敗の嵐。最後は(といっても年内でしたが)Fランの総合型に3回出願して合格で終了でした。結局、共通テストは全員記念受験。卒業試験の代替というルールだったので、欠席者はいませんでした。一部生徒や保護者からは、受験料がもったいないとか言ってましたけど。ここまでくると、当初の意気込みはどこへやらでした。私も思い入れもなくなり、卒業式を待ちましたね。一応、学校という組織でスタートしたものが「ここまで腐ってしまうのか」と改めて勉強になりました。うん、本当にひどかったです。
 今思えば、ここで辞めて、他の私学に行くなり、公立学校の講師になっていても良かったのですが、転職のタイミングを逸していました。公立から来た身としては、正式採用でもどらないと良いように使いまわされるという意識がありました。このときまだ、教採の受験者減や辞退増加の話題はそこまで出ていませんでしたから。私はあんなにうれしかった正規採用の私学を去る計画に移ることを考えました。ここに、このままいても後悔する日が必ず来るという確信めいたものがありました。ただ、すぐに行動はしない。行き当たりばったりの見切り発車では、上手くいかないというのを、進学コースの経験で痛いほどわかっていたので。周囲の状況(待遇だったり転職の好機)をよく見て、行動を起こすことを考えていました。
 その夏は採用試験を受けてみることを決めていました。待遇はほぼ変わらず、賞与も復活(ただし小学生のお年玉?くらいでした)したものの勤労意欲の増加にはつながらない状況でした。
 

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