生きること、死ぬこと
無邪気な犬人間と、暗い犬人間。
8年前、同居していた家族が亡くなった。
涙を流したかどうかは忘れた。お花がたくさん飾られていたこと、お経を読む時間がやけに長かったこと、お通夜が終わったあとにお寿司を食べたことは覚えている。
告別式にも参列した。母に「ここで人は焼かれてしまうんだよ。」と聞いて、嘘だと思った。数十分後、銀色の板の上に骨が並んでいるのを見た。人体模型で見たことあるような骨とは違って、小さくてボロボロだった。知らないおばさんとおじさんが「お薬たくさん飲んでたからねぇ。」と、ヒソヒソ話しているのが聞こえた。
そこから周りより少し早く、生と死に執着する子どもになった。毎晩亡くなった家族のことを思い出して眠った。遺影の周りに飾られた紫色や黄色を思い出して眠った。
ある晩、豆電球が灯る天井を見つめていたらふと思いついた。「ママもあんな風になるのかな。」と。涙が流れた。不意に怖くなって、その日は母に抱きしめてもらって眠りについた。
その日から毎晩、お通夜の日に見た遺影に母を重ねるようになった。その度に涙を流した。毎日泣いていると心配されるので、私はそこで声を出さずに泣く方法を覚えた。隣で寝ていた父にたまに気づかれて、心配されたこともあった。それが約1年以上続いた。
そして現在。前よりも生と死に執着する人間になった。寝る前に涙を流す癖は治っていない。8年も経ったのに情けない。「早く死んでしまいたい。」「もっと幸せに生きたい。」そんなことを考えながら泣く。
もし、私が今死んだらお葬式に参列してくれる人はどれくらいいるだろうか。どれくらいお花を飾ってくれるだろうか。お通夜のあとは何を食べるんだろうか。そもそもお葬式を開いてくれるだろうか。
誰も忘れないでくれるだろうか。
シミがひとつもない天井をぼーっと見つめていたら、急に思い出した話でした。おしまい。