華やかな誤算

22才の頃だったか?

日本で初めての、売ります買います情報誌ぽに〜て〜るという雑誌に関わった。

ヤフオクもメルカリも無かった、1985年頃の事。

フリーマーケット情報もあったので、200円で買ってみたが、その雑誌は雑誌とも言えない出来栄えだった。
誤字脱字だらけ。変集長と書いてあったり、売ります情報に人間があったりゴリラが載ってたり🤣

 とにかく笑えるオンパレード情報誌で、バイト募集にまんまと引っかかり、バイトをする事になった。

 面接に行ったら、社長はバンドマンでラリってる風の30才頃。
 唯一の社員?であった奥さんは、双子を産んで1人が死産で大変な時だと聞かされた。

 車を持ってる私は、まずは本屋周りの配本には重宝された。
 ついでにと、古着屋の取材をしたり、挙句に広告も取ってきた。
 広告といっても、割と大きい枠が5000円ほどと破格値。通称10万部発行!と書いてはあったが、実際には千冊程だった事は後ほど知る。

 当時はパソコンも無かったので、一文字一文字を探して打つ写植の時代。
 車で写植屋まで行ったり。
 挙句に、自分も編集の仕事もしたし、版下作業もした。

だけど、お金はいつも火の車で、お金が無いとこぼしていたが、社長は優雅に友達を呼び、飲みながら楽しく制作していた。だから、仕事はいつもはかどらない。

他にも吉祥寺の曼荼羅という今でも伝説的なライブハウスで定期的にバンドのボーカルをやってたらしいが、私は見に行った事はない。そのファンの男性もよく飲みに来ていた。

 バンドでは生活できないから、雑誌を作る事にしたけど、雑誌も大赤字になっていた。
 当たり前のような話だけど。

TBSがその話を聞きつけ、ドラマ化したいと脚本を書いてる最中だった。
 なんでも、ベンチャー起業という言葉が出始めた頃で、若者が起業する姿を描きたかったらしい。

社長は、100万はある借金や、未払いの私の給料をドラマ化される事で、返せる❣️と希望を明るく語る。

モデル料も何も出ないと知っても、ぽにーてーるの雑誌は宣伝してくれるというので、きっと売れるようになる❣️そしたら、未払いの給料を支払える❣️と豪語した。
 けれども、私はその時、未払いのままになるのは覚悟していた。
 それよりも、雑誌を通して次々に出来る友達や人脈が大きく広がっていた。

その中に、2年後に結婚する旦那もいたし。
 何よりも、最初のお店を紹介してくれた友達もいた。

 店主はみんな横の繋がりを求めていたし、売上アップの方法に悩んでいた。ぽにーてーるは、一つの横の繋がりの唯一の雑誌だった。インターネットもパソコンも何も無い時代である。

TBSでドラマ化されたタイトルは

華やかな誤算 
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E3%82%84%E3%81%8B%E3%81%AA%E8%AA%A4%E7%AE%97
 サラリーマンが意を決してベンチャー起業をしたものの結局潰れてしまうドラマだ。
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 今では、脱サラとか、ベンチャーとか、フリーランスなどという言葉もやる人も珍しくないが、若者が起業する、というのは珍しい時代であった。
(1996年に東大生が起業したのは3人だけだったと、ホリエモンが言ってた)
 途中でシナリオ作者が手術のため変わったという経緯もあり、ぽにーてーる同様、波瀾万丈なドラマになった。
挙句、翌年自殺した古尾谷雅人主演。

 そして、、私の役をやったのは、、あの、、
https://youtu.be/-WfNogR_Z5Q?si=DB9otuQTJbb5waU3戸川純😱😱

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