"仕事ができる"って?誤魔化し誤魔化しの処世術


私は仕事が出来ない側の人間であると思う。

ただ、世の中の"仕事が出来る"と言われている人たちを見ても
「ほんまか?」と感じてしまう。

語気が強かったり
細かいところまで目ざとかったり
今やろうと思っていたのに…!というところで指示を出してきたり。
さも分かったようなことを言って指摘してくるが
何が言いたいねんそれ、と要件がまとまっていなかったり。

私のような人間からすると本当にそばにいるだけで息が詰まるタイプだ。

でも不思議と職場に1人はいる。
特に専門的な知識は無い、決して賢いとは言い難い、なのに仕事が出来ると言われている人間が。なぜ他者からそのような言われ方をするのか。

これは私が本当に仕事が出来なくて頭が悪くて
仕事が出来る人間たちの言っていることが理解できない・共感が出来ないからそのように感じてしまうのだろうか。

そういう"仕事ができる"人間とは横並びではないから理解が出来ないのだろうか。

それももちろん一理あるだろう。

ただ、それを言ってしまうと話が終わってしまう。
考えることを放棄してしまうことになるので、一旦、私は偏差値50で、前職で特別仕事が出来なくて怒られたことは無い、ごく普通の人間であるということを前提に話しを進めていきたい。

世の中の"仕事ができる"人というのは
"仕事が出来るような見せ方を出来る"人だ。

見せ方がうまい。立ち居振る舞いがうまい。
話の文脈から知ったかぶりをするのもうまい。
誰かが深そうな事を言っていると、それに便乗して、さも"私も分かってましたよ"みたいな顔で嬉しそうな顔で喋ってきたりする。

例えば何かミスをしたとしよう。
誰かに注意される前に、自分から事の敬意を説明して、改善案まで出すから相手に指摘させる隙を与えない。

「なんだそれは、
誤魔化しているだけじゃないか」

そう。上手く誤魔化しているのだ。
しかもそれがめちゃくちゃうまい。

仕事が出来る立ち振る舞いで
自身のポジションを確率してきた人種だ。
並大抵の人間にこなせる術ではない。

「誤魔化す」と言ったら聞こえは悪いが
「上手く誤魔化す」ことが出来れば、
それはもう誤魔化しではない、真実になってしまうのだ。

そのような立ち振る舞いは、ただ単に仕事を卒なくこなす事よりも何百倍も何千倍も難しい。

シンプルに能力的に仕事が出来ることよりも難易度は高いのではないかとさえ思う。

こいつ誤魔化してるのにな…って思うと悔しいけれど
特に秀でた能力もない人は、処世術として参考にするのは大いにアリだと思う。
身につけることが出来れば、世の中少しは生きやすくなるかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?