本質は平凡だったりする
アメリカと日本、両方の教育機関で学んでみて、思うことがあります。
日本は、あまりにも言いたいことを言えない。
そしてアメリカはとにかく自分の言いたいことをどんどん言わないといけない。むしろ、内容はなんでもいいから何かを"主張"しろ、と。これは実際に言われて、すごく違和感を感じたことです。
でもね、この世の中、本質は至って平凡でつまらないんだと私は思うんです。
だって、善は悪にもなるし、愛は憎しみになるし、光は闇を伴うし、全ては表裏一体なんです。
そうすると、ある事柄を1つの角度から声を高々にして、自分の主張は絶対正しいんだ、理解できないとはなんぞや、と言い張ることは、決して物事を解決しませんし、全く本質ではないと思います。
残念ながら、インターネット時代、SNS時代の今の世界では、主張が激しいもの、みんなの目に止まるもの、興奮するようなものばかり取り上げられ、あっという間に世界中に広まるようになりました。
しかし、本当の和解、本当の解決、本質はいつだって、どっちでもあり、どっちでもない。
常に片方があるから、もう片方が成り立つ。
何かが存在するということは、自然とその反対も存在することになる。
常にバランスで世界は成り立っています。
だからこそ、世の中はもっとスピードを落とし、もう少し落ち着いて、いろんな事柄について対話をする、対話というのは相手の話をよく聴き、相手の立場に立って考えてみること、をしないと、いつまでも戦いは終わらないと思います。
一番"つまらない"、中間点を探す、妥協をどこまでお互いがし合うか、それが本当の意味での本質な気がします。