聖徳太子
先日、厩戸皇子の記事をアップしたところ、通常の私の読者数を遙かに上回るペースでアクセスが付いてビックリしました(°0°)
でも、すぐに今年が聖徳太子1400年御遠忌だと知り、未だに強く存在が意識された存在なのだなぁ、と気づいたのでした。
花鎮めのお祭りの写真でしょうか。
春にはいろいろと催しもあったようです。
こんな情勢ですから、なかなか観に行く訳にもいかないですが・・・・・・
気付いた時には終わっているというパターンで貴重な機会を逃しています。
聖徳太子の存在を問う議論が話題になったのは十年くらい前でしょうか。
今は沈静化しているのでしょうか?教科書からは厩戸皇子に記載が変わったという影響はどうなんでしょうね?
個人的には、聖徳太子の呼称をそんなに厳密に考えるのなら、漢風諡号で天皇を記載するのも行けないことになりますがねぇ・・・・・
創作の時には聖徳太子という発言はありませんし(ちょっとリアリティに欠けてしまう感じがするから)、厩戸皇子という呼称が使いやすいのは確かです。当時の呼びかけに近いものを使うことで、その時代に読者も入ってきて欲しいからです。
同時に推古天皇だって推古天皇とは呼んだりせずに諱の額田部を使ったり(諱を普段に使うかという問題もあります)、和風諡号の豊御食炊屋姫尊(日本書紀、古事記では豊御食炊屋比売命=とよみけかしきやひめのみこと)から炊屋姫尊(かしきやひめ)を使った方が良いのか、と考える訳です。でも、それは飽くまでも読者を没入させるための手段です。
学生が学ぶ機会では推古天皇を使うように聖徳太子で問題ないのでは?
そう呼ばれていた人物はいなかった、というのなら歴代天皇も奈良時代の淡海三船が漢風諡号を作るまでは、和風諡号で呼ばれていたはず。
でも、和風諡号を覚えるのは現代人には難しいですからねぇ・・・・・・
今まで通りに漢風諡号を使っていけばいいと思うのですが。
さて、聖徳太子の時代のイメージは私には山岸凉子様の「日出ずる処の天子」なのですが、日本書紀を読んでみると、あまりに簡潔な内容しかないのに驚かされます。
「上宮聖徳法王帝説」に基づいてイメージしていったと、かつて何かのインタビュー記事で話されていた記憶があったので、早速買い求めましたが、まだ配達されていません。
多分、届いても驚くぐらいにあっさりとしか書いていないだろうな、と予想しながら構想を練っているところです。
聖徳太子を主人公にしては、とても山岸凉子さんや池田理代子さんといった巨匠にはかないませんから、別の人物で同時代を描こうと考えています。
ちゃんと形になるかなぁ?