死んだ後に残るモノ
25年ぐらい前に偶然手にした「ホタル帰る」という本を読んで特攻隊の存在を初めて深く知った。
電車の中で読み始めて涙が止まらなくなり途中で読むのをやめたことを今でも覚えている。
その後、一人旅でこの本の舞台である鹿児島県の知覧特攻平和会館に足を運んだり、特攻隊が扱われている映画もほとんど観てきた。
特攻隊の存在の解釈は様々あり私の考えをここで詳しく書くつもりはないが、1つ言えるのは年間2万人以上自殺者を出している今の日本人が彼らから命の大切さを学べる資格は無いと思う。
それはさておき今回紹介したい内容は、21歳のある特攻隊員が旅立つ前に残された後輩達に送った最期の質問という話です。
なぁ、お前達知ってるか?
牛や馬は「一頭」
鳥は「一羽」
魚は「一尾」
と、こう数える。
なぜか?
実は動物の数え方は
「死んだ後に何が残るか?」で決まるんだ。
じゃあここで1つ聞きたい。
俺達人間はどうだ?
「一名」
そう、名前だ。
俺達、人間は死んでも名前が残るんだ。
お前達、自分の大事な大事な
「名」に恥じない
「生き方」ができてるか?
1回きりの人生
後悔せぬよう意識すべき事は、
「能力」でなく「生き方」でな、
「知識」ではなく「行動」
読むべきものは、
「空気」でも「本」でもない
「自分の心」だ。
明日、人生が終わると思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。
それじゃあ元気に征きます。
これが死に行く間際に言えるのだから、彼にとって核となる「信念」になっていたのだろう。
当時の教育の影響もあるだろうが、それでも現代に生きる我々にとっても通じる大切なものを感じる。
最近、noteを通じて知り合いになった人に会いに行き「信念」というものが、どれだけ自分に影響を与えるかという事を、知るというよりも体験を通してその重要さに衝撃を受けた。
自分の足枷になる信念を取り除き、今回紹介した特攻隊員の持つこの信念を少しでも取り入れたいと思った。
自分が死んだら所有しているモノは何もあの世には持っていけない。
残された者に相続されるモノはあるが、それは資産価値がある限られたモノだけで、そもそも死んだ本人にはもう何も関係はない。
もしあの世があって肉体が朽ち果てても魂だけで存在することが出来るのなら信念や思い出、経験だけが残るのだろう。
そう考えると今生きていて間にそんなに多くのモノを所有する必要性も重要性もない。
余分にモノを買うお金があるのなら、旅行やアクティビティを楽しんだり、映画を観たり本を読んだり、人に会ったりして魂が喜ぶことにお金を使う方向性にシフトしていった方が幸せになると私は思う。
そして所有物には、こだわりを持った少数精鋭のモノを長く大切に愛用していく姿勢がやはり気持ちが良いし、所有しているモノも喜んでいる気がする。
今後もこのブログは、経験や体験などの価値を重視する事と所有物は質の高いモノを少数にする事、この2つを表現を色々変えて主張し続けていくと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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