東畑開人「居るのはつらいよ」
本書は「ケアとセラピーについての覚書」というサブタイトルもあるように、ケアとは何か、セラピーとは何が違うのか、について学術的に掘り下げよう、というエッセイ(フィクション)です。
ケアについてはこれまで私も何度か取り上げてきました。たとえば以下の伊予柑日記は簡潔にまとまっていて分かりやすいです。
特に男性はケアをしないし、ケアを受け入れにくい、そのせいで生きにくくなっている、みたいな話もありました。
ケアが大事だというのはなんとなく分かるのですが、では何をすればいいのかと考えていくと、どうしても「現状の問題を解決する」というセラピーの側に進んでしまいます。実際に「ヘルスケア」みたいなのはすごくセラピー的な発想です。
前置きが長くなってしまいましたが、本書ではそういったケアとセラピーの関係性みたいなのを学術的に考えた結果、ケアというのが「物語」の中でしか表現し得ないということでエッセイ風のとても面白い内容に仕上がっております。
ケアとセラピーの定義
これが本書の結論になります。ネタバレですね。これをすんなり理解できるようなストーリーが本書の醍醐味になります。結論だけを得て満足してはいけません。
ケアをしていると、ケアに飲み込まれてしまいます。ミイラ取りはミイラになるし、メンヘラと過ごしていると自分もメンヘラ化します。
実際の私たちは、そんなにケアができません。ついつい口を出してしまいます。「あなたがこう変わればいいんだよ。あなたは怖がっているけど、大丈夫だから、一緒にチャレンジしようよ」と声をかけたくなります。だって相手はどうみても間違っていて、それで弱っているのですから、更生させたいじゃないですか。みんな、セラピーがしたくなるのです。それが正しく思えるのです。
あなたはどちらの方がいいと思いますか? ケアで相手を依存させるより、セラピーで自立してもらった方がいいと思いませんか? そう思う人に、そうじゃないと伝えるのはとても難しい。だから本書は、エッセイになっているのです。読まないと分からないのです。
ケアのコミュニティ
本書の舞台はデイケアという施設ですが、デイケアにはミッションがありません。ただそこに集まって、いるだけ。なんとなく人が集まって、なんとなくそこにいる。
もしかしたら、つらい社会から逃げ出すための、避難所みたいな場所なのかもしれません。本書では「アジール」と呼ばれています。もともとは神殿とか寺院とか、神仏の力が強いところで、どんな罪人でも許してもらえる、みたいなのがアジールでした。
あなたのまわりにも、そういうコミュニティがあるのではないでしょうか? 成果とか納期とか気にせず、どうでもいい話をできる仲間たちが、いるのではないでしょうか。
内輪ネタを話せる、共通の仲間意識となるものがある、そういうコミュニティが今の時代でもアジールとして機能していると思われます。
アジールにいるのはつらい?
アジールの運営には気をつけなければいけないポイントがあります。アジールにとって大事なのは、どうでもいいことです。ミッションがないこと。目的もなく集まっていることです。
でも私たちは、つい何か目標を持ちたくなります。遠くへ行くなら、みんなで行きたくなります。強いコミュニティになって、成功して、有名になって、人気になりたくなります。
でも、ミッションを達成するために活動するのは大変なことです。そこには、ただ「いる」だけでは済まされなくなります。何かを「する」必要があるし、「する」ことがない人は、そこに「いる」ことも許されなくなります。だから「居るのはつらい」となってしまうのです。
ケアとセラピーの比較のところで、セラピーの方がいいと思った人は、潜在的に「何かすることが必要だ」と思っているはずです。そういう人は、アジールの中でも「する」ことをさがして、「いる」だけでは落ち着かなくなります。だから「居るのはつらい」となってしまうのです。
アサイラムというのは、刑務所とか収容所、みたいな意味だそうです。アジールとアサイラムは紙一重の存在で、人々を救ってくれるはずのアジールは、少し気を許すとあっという間のアサイラムになってしまうのだそうです。以下の例が、すごく分かりやすかったです。
だから、私たちは、今はよいアジールだと思っているコミュニティも、ちょっと気を抜くと、何か「する」を追い求めて、急にいづらい場所になってしまうかもしれません。
お金の話はしない、などのルールを設けるのは、とても有効なことだなぁ、と思ったりしました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?