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C. ライト ミルズ「社会学的想像力」
今月の課題図書です。とりあえず第一章を読んだので、この本が何を目的として、どんなことが書かれているのかを概観してみます。
世界と自分のつながり
世界はものすごい勢いで目まぐるしく変化しています。ニュースを見ても、SNSを見ても、そのスピードの速さについていけない人は多いです。世界という大きなものに対して、私たち個人は本当にちっぽけな存在で、世界の変化に置いてけぼりにされてしまったように感じます。
仮想通貨が使われるようになって、VRの世界が生み出されて、Web3.0だかなんだか分かりませんが、そんな世界の変化とは関係なく、また明日も電車に乗って会社に行って、コピーした書類にハンコを押す仕事をするわけです。本当に、私の人生は世界とつながっているのでしょうか?
人々が必要としているもの、あるいは必要だと感じているものとは、一方で、世界でいま何が起こっているのかを、他方で、彼ら自身のなかで何が起こりうるのかを、わかりやすく概観できるように情報を使いこなし、判断力を磨く手助けをしてくれるような思考力である。
このように、すごく離れてしまった世界と個人の関係性をきちんと結び付けられるようにすること、それが「社会学的想像力」なのだそうです。
科学という共通言語の終焉
私たちが、何か難しい原理原則について考えようとするとき、お互いの理解を確かめるため、共通のものさしみたいなものが必要になります。それが物理学や生物学などの「科学」でした。
いくらあなたのお気持ちを長文で表明されても、まともに取り合ってもらえません。でも、実験で科学的に証明された内容であれば、いろんな人が考察を加えてくれます。私たちは、事実に基づいて科学的に考える、というプロセスを通じて、客観的に正しい論理体系が作れると思っています。
本書では、こうした共通のものさしのことを「公分母」と呼んでいます。
近代科学を尊重するのは長い間自明の前提であったが、現在では、科学と結びついた技術的なエートス、技術者の想像力は、希望や進歩を感じさせるものではなく、行く末の見えない恐怖感を抱かせるようなものになりがちである。
自然科学は、ものすごい勢いで発展しました。おかげで食糧問題は解決され、自然災害にも耐えられるようになり、便利で豊かな暮らしが送れるようになりました。しかし、一方で道徳的な、哲学的な、人間的な問題が次々に現れてきています。
たとえば原子爆弾が作れるようになった、クローン人間が生み出せるようになった、大量生産によって資源が枯渇した、貧富の差が拡大した、など。こうした文化的な、社会学的な問題について語り合うための「公分母」が存在していないから、これらの解決がなかなか進まないのです。
「社会学的想像力」は、まさに、こうした課題について議論するための公分母たりうるものだと筆者は考えています。
この本の目的は、現代の文化的使命に対して社会科学がどのような意味をもつかをはっきりさせることである。
これまでの社会科学はダメだった
社会科学者にもいろんなタイプがいるらしい。だいたいダメらしい。本書では、これまでの社会科学がどうダメだったか、そしてこれからの「社会学的想像力」はどうあるべきか、みたいなことを述べていくらしい。
以下ではまず、蔓延する社会科学の歪曲についてまず検討する(第2章から第6章)。その後で、社会科学の約束に立ち返るつもりである(第7章から第10章)。
とりあえず第一章から読み取った本書の概要はこんな感じです。