2023年の彼岸に思うこと
お彼岸なので父母両家のお墓参りへ。
墓参りは、自分の命をつないで
頂いたルーツを確認でき、自分の命への
感謝を確認できる素晴らしい習慣だと思う。
両親が地元出身であることから、
両家のお墓も近くにあり、墓参りに行くとき
は両家ともに参れるのも、有難い。
墓参りを終えお彼岸なので、少し、
自分のルーツについて、父母や祖父母から伝え聞いたことを記録しておきたいと思い、徒然なるままに。
井橋家の初代は、井橋太郎兵衛さん。
関ケ原の戦いに出陣した武士である。
戦いに出たときは、飯橋太郎兵衛さん。
石田三成側の西軍についたので、
敗軍となってしまった。
捕まったら殺されてしまうので、
落ち武者になり、顔を火傷で整形的な
ことをして、逃げて埼玉の越谷にたどり着く。
逃げれたということは、上級武士ではなかった
のであろうが、生き残ってくれたので、自分の
命がある。初代太郎兵衛さんへ感謝しかない。
名前も飯橋から井橋へ変え、初代井橋となる。
越谷で大工の釘を作る商人となり大儲けしたそう。
ご先祖さま、なかなか逞しい!
今でも、越谷には井橋さんが経営されている
創業250年の老舗金物屋さん「釘清商店」がある。
(有)釘清商店(越谷市)-地域でがんばる元気な商店 (saitama-j.or.jp)
お会いしたことはないが、親戚であることは
間違いがない。
今はもうしていないが、代々、
嫡男は歌舞伎のように井橋太郎兵衛
の名を引き継いでいた。
祖父は三男坊だったので、自分は光三じいちゃん
の分家の3代目。
光三さんの長男は19代目なので、実質、初代から数えて、
自分は21代目。関ケ原の戦いが1600年なので、
400年で21代ということは、平均20年くらい。
若く、もしくは幼くして亡くなったご先祖様も
いたことだろう。
そんなことも、見えてくる。
お墓のある越谷の天嶽寺には、
本家、分家のお墓が沢山あり、井橋家のお墓だらけ。
そんなのを見るだけでも自分のルーツを
目の当たりにするし、嫡男以外は本家の墓
に入れないという、檀家制度ルールによって、分家のお墓がたくさん作られ
お寺が経営的にめちゃくちゃ、助かっていることも分かる。
とまぁ、いろいろなことがあり、
飯橋太郎兵衛さんが、井橋に改名し
始まった400年のつながりをお墓参り
で「ALL井橋」を体感できる。
そこに行くだけで、
「ご先祖さまのみなさーん、
有難うございます!」
と、とてつもない感謝と自己肯定感が
当たり前に自分の中に毎度宿る。
このリアルなものを見て、自分の命の
ルーツを感じない人はいない。
ちなみに、私の禅僧の師匠から、お経の後
の回向文を読むときに
「井橋家先祖代々、前井橋家先祖代々」
と読みなさい、と教わっている。
これは、とてつもなく凄いことです。
前井橋家先祖代々とは、飯橋家はもちろん、
そのずっーーーーと前の、命の根源まで
回向が巡る。つまり
「天之御中主神」
までたどり着く。
全宇宙全てのものはみな一つの根源
から産まれているのだから、分断とか
そんなものは存在しないことに気づく。
一生懸命、世界を分断させて弱くさせよう
としている方々が沢山いるが、誰も彼も、
根源は一緒である。
そういう叡智にみなが気づけば、
もっと地球は必ず良くなる。
八紘為宇とはこういうことを
神武天皇が教えている言葉。
日本の神道の気づきの深さにもっと
日本人が気づくべきである。
禅僧の立場から言わせてもらえば
禅行をすれば、分かる。
こんな単純で最も大切なことを毎度、
思い出させてくれる、ご先祖様たちに
心から感謝である。
いずれ、自分もこのお墓に入って
子孫たちを見守る側になることも、
大きな楽しみの一つである。
ちなみに母方のご先祖さまも少し。
江戸時代、関所の関守をしていたそう。
その頃にシーボルトが日本にやってきて、
蘭学を長崎で鳴滝塾を開き、そこに
応募し受かって蘭学を学び医者になりました。
地元群馬の嬬恋村で医者を開業し、
馬に乗って診療に回っていたそう。
なんともカッコいい!
その後、嬬恋村の村長さんに
なられたそう。
こんな素敵なご先祖様たちがいて、
自分たちの命があることを
息子にも話して伝えよう。
そんなことを思った
2023年の彼岸でした。
追伸:
天嶽寺の隣の、久伊豆神社は八方除けで有名な神社。
また、大東亜戦争で散華された英霊を祭るパラオにある
南方神社の遥拝殿があります。
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