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#49 (世代的には)負け組の団塊ジュニア世代がこれからを生きる道

僕は1971年(昭和46年)に生まれた、いわゆる団塊ジュニア世代(第2次ベビーブーム世代)だ。

1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)生まれのことを団塊ジュニア世代と呼ぶが、僕もちょうどその世代にドンピシャ該当する。

幼少期から高校生くらいまでの70年代から80年代にかけては、時代は目まぐるしく進化し、毎年のように色んなものが世の中に現れ、新しいデジタル玩具も毎年のようにアップデートされ、小さいながらもワクワクしながら過ごしたことを記憶している。
(ゲームウォッチ〜電子ゲーム〜テレビゲーム機〜ファミコン〜第1次パソコンブーム~スーパーファミコン)
ファミコン前のテレビゲーム機をけん引したカセットビジョンとか覚えてる人、どれくらいいるだろう(笑)

日本が最も成長し、世界の中で日本企業や日本製品が”Japan as No,1”と呼ばれていた華々しい時代である。
人口も全体として減少の兆しは見えず、まだまだ増加傾向であった。

ちなみに、1979年4月に放送が始まったアニメ機動戦士ガンダムでは「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた」という冒頭のナレーションに表れているように、こういった時代背景が写されているのだと思う。

ここでいきなりガンダムの話になるのが、我々世代の性である(笑)
我々世代は、現代のような多様性の時代とは異なり、一斉にブームに飛びつき、(前述したデジタル玩具と同様に)皆んなが同じ対象に対して夢中になるのが特徴である。
(ガンダム(ガンプラ)・ビーバップ・おニャン子・BOΦWY・・・w)

さて、真面目な話に移ろう。

下のグラフと表は、国の人口動態統計資料から抜粋したものであるが、団塊ジュニア世代と呼ばれている1971~1974年までの4年間の年間出生数は200万人を超えており、合計特殊出生率も1974年までは2.0以上で推移している。

厚生労働省 2023年「人口動態統計月報年計(概数)の概況」より抜粋
1947年-1984年の年次別出生数(政府統計のデータを活用して作成したもの)

ちなみに直近の2023年の出生数は72.7万人にまで減少しており、我々世代と比較すると、実に1/3という減り方である。
2024年に至っては70万人を割り込むという予想すら出ている。

また、1975年と2025年の人口ピラミッドを見れば、その特徴がよくわかる。
団塊世代と団塊ジュニア世代が突出して多く、2つの大きな人口マジョリティが見て取れる。
現在、団塊ジュニア世代が、やっと団塊世代を数の上では追い付いたといった感じだろうか。

1975年の人口ピラミッド(社人研のデータより)
全体的に若い世代に人口が集中しており、人口増加が進んでいた時代
2025年の人口ピラミッド・予想(社人研のデータより)
人口の先細り感がよく分かるが、少子高齢化がはっきり見て取れる

さて、序文はここまでにして、なぜ団塊ジュニア世代が負け組と呼ばれるのか、そして、我々は今後、どんな風に生きていけば良いのかについて、僕なりの雑感を記していきたい。


なぜ団塊ジュニア世代が負け組なのか?

以下の4つが、僕にとっての負け組の象徴的な事象であるが、世代的にも共通して遭遇してきたことであろう。

受験戦争という地獄

生まれた頃から青春期までは確かにキラキラしていた感が強かったが、何しろ200万人を超える同級生がひしめき合っているのだ。
僕たちは、生まれた瞬間から親世代に該当する団塊世代からの教育を受け、競争が当たり前だった世代であるが、(高校も含めて)大学に入学するためには熾烈な受験競争を余儀なくされた。

受験戦争というワードはこのころ完全にトレンド化していたし、予備校が百花繚乱の時代である。

僕自身も大学受験には失敗している一人なのだが、僕が高3の時(1990年・大学センター試験の第1期生)の大学不合格率は何と48.3%にも昇るそうだ。(入れないはずであるw)

超就職氷河期に巻き込まれる

1浪してようやく大学に入学したと思ったら、楽しい大学生活の終了と同時期に、バブル崩壊と超就職氷河期が目の前に現れる。
少し上の世代が、バブル期を謳歌しヤンエグとか呼ばれて、ブイブイ言わせてたところからの急転直下である。

就職しようにも、ほとんどの扉は閉ざされていた。

僕もご多分に漏れず、この超就職氷河期の洗礼を受けた一人である。
一応、一通りの就職活動はやってみたが、院卒でない学部卒業生は門前払いというのが、僕の年度の建築設計分野では当たり前となっていた。
大学を卒業しても、ちゃんとした就職にはありつけず、非正規での仕事をすること4年、その後、紆余曲折あって公務員という職にありついた。
1浪時代も併せて5年、すでに27歳を迎えていた。

いつまでも上がらない給料

公務員になってからは安泰と思いきや、役所に就職した1999年度(平成11年度)には人事院勧告において期末手当が減月となり、実質給与は初めてマイナスへ振れることに。
以降、マイナス勧告が常態化され、30代〜40代前半くらいまでは、昇級・昇任はするものの、支給される給与はほぼ横ばいの状態が続く。

公務員に限らず、どの職業でも同様のことだろうが、何しろ同学年に200万人以上いて、マイナスの経済成長と有り余る労働者という需給バランスからして、完全に供給過多の状況であるため、大局的には待遇が良くなるはずがないのである。

団塊世代が残していった遺産

僕は役所の中で、公共施設マネジメントやFMの仕事に関わっているのだが、今の時代には考えられないような立派(かつ無用)な公共施設があちこちに建っている。

僕らの上の世代が残していった負の遺産である。

僕らが大学に入った頃には、バブルは弾けていたのだが、その煽りを受けて、経済対策と称した政府による地方への予算配分が顕著になり、1990年代には公共施設整備がピーク期を迎える。

地方の小さな町にも文化ホールが作られたり、大規模なスポーツ施設が整備されたりしているのもこの頃である。
これらの公共施設は、正直言って今の社会ニーズとはかけ離れた規模のものであり、行政運営上はお荷物でしかない。

ただ、無駄でしかないこれらの公共施設を廃止しようとすると、決まって登場してくるのが団塊世代を中心とした反対の声である。

ワシらが造った公共施設を廃止するなんてとんでも無い!
地域のシンボルがなくなると地域が衰退する!
まだ使えるのに勿体無い!

僕らより若い世代にはなんともな、昭和感満載な罵倒が飛んでくる。

以上のように代表的な4つの事象を取り上げてみたが、他にもいっぱいあるだろう。
こんな辺りが負け組世代を象徴しているように思うところだ。

ちなみに、僕のnoteでも以前、団塊ジュニア世代については触れたこともあるので、時代背景的なことは、そちらも参考にしてほしい。

また、団塊世代の生きてきた時代を年代ごとに描写した速水健朗さんの「1973年に生まれて」という著書が非常に面白いのだが、これは僕らが生きてきた時代のある種の歴史考察書とも言える。

団塊ジュニア世代がこれからも受ける(だろう)仕打ち

さて、これまで悲劇的な人生を送ってきた団塊ジュニア世代。
すでに50代に突入し、やっとこさ生活も安定してきたといった具合だろうか?
では今までの苦労してきた時代から反転して、これからの老後に向けてバラ色の人生が待ち受けているのだろうか?

残念ながら、答えは「全く否」だろう。

昨年あたりから物価高騰やインフレ傾向が続いており、さらに人口減少に伴う労働者の供給制約社会が目の当たりになってきたため、特に若年層の給与水準は大きく上昇カーブを描いている。
ところが、これは全世代に当てはまる訳ではなく、特に我々、団塊ジュニア世代は例外的に取り残される世代なのは間違いないだろう。

労働者不足が深刻化する中で、初任給を含む若年層の給与を上げていかなければ採用がおぼつかないのが、企業側の心理である。
とはいえ、企業などの収益構造自体が一気に好転するのかというと、そんなことにはならないだろう。
なにしろ、内需は人口減少とともに下がっていくのだから。
そこで割を食うのが、年代別で見ると供給過多となってる我々世代ということだろうことは容易に想像がつく。

若年層の賃金水準が改善される一方で、(我々世代は)いつまでも処遇が改善されない時代がこれから先も続くだろう。

今は(労働者としての)人生の最終カーブ?

我々の世代は年齢にして現在50歳〜53歳になっている。
(僕も今年、53歳の誕生日を迎えたところだ)
すでに(労働者としては)キャリアの後半を過ぎ、従来型の労働モデルに当てはめると、第4コーナーを曲がって、ラストスパートに差し掛かったといったところだろうか。

さあ、では(体力や気力などの)余力を振り絞って、悠々とゴールテープを切ることはできるだろうか?
僕も含めて、大半の人はNOだろう・・・

人生100年時代と叫ばれる中、今までのように60歳(〜65歳)を迎えた時点で勤労時代は終わり、後の余生は悠々自適な生活を・・・なんてことには絶対ならない。

それは人生80年の設計である。

健康に生き続けることが前提であるが、100年時代を生きようとすれば、おそらく80歳くらいまでは何かしらの勤労所得を得なければ生活もままならないし、ましてや制度設計上、すでに破綻している年金なんてものも当てにする将来設計なんかギャンブルすぎる話である。

LIFE SHIFTは全世代もそうだが、団塊ジュニア世代は特に必読書である。

これからの時代をどう生きるか?

僕らの世代はほっといても国全体が成長していた時期(高度成長期)とは大きく異なる時代(バブル崩壊後〜マイナス成長時代)を社会人として生きてきた。
現在は、急激な人口減少社会にあって、これからの社会も大きく成長することは難しいだろう。
一方で、デジタル技術の進化などは、僕らの想像を遥かに超えている。

僕らが小さい頃に経験してきたように、デジタルツールのアップデートは、うかうかしていると、気づいた時には周回遅れになっている。

そう、今まで生きてきた経験だけで生きていける時代ではない
だからこそチャレンジしなければならないのだ。

その場で踏みとどまるということは、バックギアにいれていることにほかならない。
それほど世の中は目まぐるしく動いている。

新しいことを学び、新しいスキルを身に付け、お金や物ではない見えざる資産を増やし、人的ネットワークを広げ、新しいことに勇気を持ってチャレンジし、自身の成長を止めることなく、できる限り長く健康的に働き続ける。

そんな前向きでポジティブな姿勢こそ、僕らがこれからを生き抜くために必要なことだと思うし、我々世代が、これからを生きる道である。

そう、僕たちはまだまだ成長できるし、しなければならないのだ!

最後に、PUFFYの2人も僕らとだいたい同じ世代。
(73年9月生まれの亜美さんと75年1月生まれの由美さん)
彼女たちの2ndシングル これが私の生きる道を、団塊ジュニア世代のこれからを生きる道の応援歌にしてみるとするかな。

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