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#31 公共施設を幸せな建築にする方法とは?

前回までの凝り性なネタから元に戻って、今回はいつものように公共施設ネタをお届けしたい。
公共施設については全国で同様な課題があり、その不幸な側面に焦点を当てた記事を書くことが多くなってしまいがちだが、そんな不幸な公共施設をどうすれば幸せな建築にできるだろうか?というのが今回の趣旨。

そういえばnote記事の#01は「建築マニアから見た不幸な公共施設とは?」というテーマだったことを思い出し、それの続編的な記事を書こうと思った次第だ。
途中に随分寄り道をしてしまったので、このテーマに戻ってくるまでだいぶ時間がかかってしまった(笑)

ということで、公共施設の不幸な側面を捉えた#01も併せてぜひどうぞ。


そもそもどうして公共施設はこんなに不幸な存在なのか?

#01でも書いたが、公共施設を不幸たらしめている要因は多層的に存在していて、どれか1つが根本的な問題ではない。
ちなみに僕が思う不幸たらしめてる要因は下記のようなものが挙げられる。
・発注者が誰だか分からないまま建てられるプロセス
・利用者のターゲットがあまりにも広範囲というか不明確
・安かろう悪かろうが常態化している利用料金とサービスの質

・運営に対する意欲もそうだけど、やっぱり根本はお金の問題
・保全にかけられるお金の圧倒的な不足による施設の老朽化

これらは非常に根の深い問題であり、完全に負のスパイラルに陥っている状況下において、どれか1つの側面だけ解決しても全てが好転するようには到底思えない。
それくらい公共施設の多くは不幸な存在である。

適切な予算が投下されず老朽化が深刻化する公共施設たち(筆者の発表資料より抜粋)
公共施設の世界では踏んだり蹴ったりみたいな事の連続?(筆者の発表資料より抜粋)

ぐるぐると負のスパイラルが何重にも巻かれている公共施設においては、その要因となっている色んな関係性を紐解き、それを丁寧にその糸を解いていく作業が必要となる。
ではまず、公共施設にまつわるさまざまな関係性を見ていくこととしよう。

公共施設にまつわる関係性

公共施設を企画する時から、施設が整備され運営していくプロセスにおいては実にさまざまな人が登場してくる。
それを水上側から水下側まで挙げていくと次のようなキャスティングになるだろう。
要望者(公共施設を造って欲しいと要望する人)
所有者=役所(企画部門・施設所管部門・営繕部門・財政部門・・・)
設計者工事施工者+場合によってはコンサル
運営者(直営の場合は施設所管部門だったり民間事業者だったり)
利用者(施設を実際に利用する人)
首長(全てのプロセスにおいて強い決定権を有する)
議会(予算や指定管理者などの決定権を有する)

上に挙げた多くのキャストが、それぞれの役割を果たしながら公共施設は出来上がっていき、そして誰かに使われていく。
ここで大切なのは、公共施設は造ることが目的ではなく、使われることが目的であるということ。
ここを間違うと悲劇の結末が待っているのだが、上に掲げたキャストの中の一部には、造ることしか考えていない登場人物も紛れ込んでいるので注意が必要だ。

公共施設を欲しがる人と使う人

公共施設では、それを欲しがる人(上で言うところの要望者)と、それを利用する人とが一致しないケースがままある。
欲しがる人は時として、大きな声をあげてプロパガンダを張り、市民の大きな声を届けているように演じているが、実はそれがごく少数の人の声であるということも少なくない。
この辺りの声を、しっかり聞き分けないと大きな過ちを犯すことに繋がりかねない。

例えば、人口も少ない小さなまちに、これでもかといった大きなホールが建っていたり、異常に立派な美術館が建っていたりということもままある。
建築オタクの僕は、色んなまちで有名建築家が設計した公共施設を見て回ることも多いのだが、僕が訪れた夕方まで、その日は誰も来館者がなかった美術館といった笑えない事例にも時として遭遇する(苦笑)

そんな風に、欲しがる人と使う人の間に大きなギャップができているケースも多いのが公共施設の特徴であるが、こういった建築は、言わずもがな不幸な運命を辿ることとなる。
みんなが欲しがっている、という幻想に惑わされてはいけない。

公共施設=みんなのため?という幻想(筆者の発表資料より抜粋)

また、売るものやターゲットが決まっていない商業施設なんてないように、誰に使われるか分からないような公共施設なんて存在しちゃいけないのだ。

ターゲットのない商売は成立しない(筆者の発表資料より抜粋)

所有者と運営者の関係性

公共施設の所有者は、ほとんどの場合、役所など行政団体である。
一方で運営者はというと、行政が直接行っているものもたくさんあるが、昨今の官民連携や公民連携というトレンドから民間事業者である施設も多い。

僕自身、建築は使われてなんぼと考えているので、運営を先に見越した施設整備がなされることが大原則であると思っているが、これが上手くいかないケースも多い。
ハードのみが先行して、運営者がハコモノの整備が終わってから決まることもあるし、指定管理者の入れ替えなどによって、途中から運営者が変わるケースもある。

商業施設のようにA・B工事とC工事を区分して、内装は別途みたいなことができれば良いが、公共施設でこういった区分がなされていないケースがほとんどで、内装仕上げまで最初から含めたパッケージで整備されることが大半である。
運営者に合わせて、そんなところもアジャストできる仕組みができれば良いのだが。

また、所有者と運営者との間に溝があったり、関係性がギクシャクしている公共施設は、大抵の場合、不幸な運命を辿っていくこととなる。
それがお金の問題なのか、やる気の問題なのか、ハードとソフトのギャップの問題なのかはまちまちであるが、持続可能な運営の仕組みが構築されていない施設では、次第に綻びが生じ不幸になっていく。

幸せな建築にしていくためにはこれらの関係改善も重要な要素である。

幸せな公共施設のつくりかた

さて、公共施設の不幸な側面を挙げていけばキリがないので、ここからはどうすれば幸せな建築になり、所有する人、運営する人、利用する人・・・みんながHAPPYになれるのか?という方法について探っていきたい。

まず大前提として、我々公共施設に携わる人間が、企画から設計・施設整備、運営や利用者も含めてしっかりビジョンを持ち、担当者が「想い」を持って関わることが大切だ。

その上で、上述したような不幸な結末になりそうな要因を、一つでも多く潰していき、施設整備→運営というプロセスの流れを、運営→施設整備という風に逆順から構築していくべきである。

また、公共施設=(タダに近い)低廉な料金=質の悪いサービスという常識からも脱却すべきである。
低廉な料金が必要な分野ももちろんあるが、それで持続可能なサービスが構築できず、質までもが下がってくるのであれば、それは本末転倒である。
しっかりしたサービスを提供するために、しっかりとした料金体系を整えるという英断もケースバイケースで必要となってくる。
低廉な料金=誰にも訴求しないサービスという実態にも気づく必要がある。

これから建てる施設ではなく、仮に既に建っている建築ならば、少し強引な方法ではあるが、その施設を欲している運営者を見つけ、その内容に応じたリノベーションを企てるという方法もある。

僕がやっている仕事の裏テーマは不幸な公共施設を幸せな建築にするというもので、グラスハウス→Globe Sports Domeという流れは正にそれを体現したプロジェクトである。
もちろん、それぞれの関係性はすこぶる良好である。

他にも幸せな建築への再生をテーマとしたものもあるが、運営が潤い、持続可能なサービスが構築できれば、自ずとサービスの質も上がり、雇用も増え、ハードも再整備され、エリアの価値も高まっていくという好循環のスパイラルに向かっていく。
加えて行政から支出するお金も減ってくるという副産物もついてくる。
プロジェクトに苦労は付きものであるが、色んな人から感謝もされるので、次のプロジェクトへと展開も広がっていきやすい。

さて、今回の話はここまで。
少し書き足りなかった部分は、またの機会にとっておくこととしよう。

余談ではあるがその昔、篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」という曲がヒットしたことがあるが、公共施設の置かれた難しい状況をこの曲になぞらえると「憎しさと 愛しさと 心苦しさと」といった具合か(笑)

もしくは「好きよ 嫌いよ」と感情の移り気が描かれた松田聖子さんの「小麦色のマーメイド」みたいな感じか(笑)


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