043 般若心経6
無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故
引き続き「無」が並ぶ。「無無明」は二重否定のようであるが、無明は仏教用語である。十二因縁あるいは十二支縁起と呼ばれる教えで、人間の苦悩の仕組みを説いたものである。苦悩は無明から始まっている。無明は無知と同義である。無知から十二の因縁を経て最後の苦悩である老死へと繋がっている。したがって、無明が無ければ、老死も無いということを言っていることになる。つまり、苦悩の根源は無明、つまり無知である。
お釈迦様は修行の結果そのことに気付いた。私達に無知であってはならないと説く。だからと言って、私達にお釈迦様と同じ修行をしなさいとは言わない。般若心経の教えの優しさが現れている部分である。
お釈迦様が苦悩を克服して悟りの境地に達したとされるその過程と結果として得られたものについては、考慮する必要が無いと言い切っているのが般若心経の教えである。一見、お釈迦様を否定しているようであるが、そうではない。キリストの受難に通じるところがある。私達にできることは、結果を受け止めることだけであり、そのことによって初めて苦悩から解放される。