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036 般若心経1

 般若心経は最もポピュラーなお経である。唱えることに意義があるとされているので、空んじている人も多い。原文はサンスクリット語で綴られているが、私達が目にするのは漢訳文である。作者は不明であるが、訳者の一人である三蔵法師玄奘はたいへん有名。
 仏教の開祖であるお釈迦様は紀元前6世紀ごろの実在の人物である。同じころヨーロッパではソクラテスなど自然科学を探求するギリシャ哲学、また中国では孔子の儒教など多くの思想が生まれている。インド、ギリシャ、中国において、それぞれ人間を深く洞察する思想が同時に誕生しているのは興味深い。
 お釈迦様には多くの弟子がいて、教えが広まっていく。紀元前後には、教えをまとめた膨大な経典が作られている。それらの経典がお釈迦様の考えを忠実に反映しているのか、あるいは弟子独自の考えも取り入れられているのかは判然としない。般若心経はどうなのか。
 膨大な経典は漢文に訳されて中国に伝わる。さらに日本に伝わるまでには1000年以上も経過している。しかも日本ではほとんどのお経は漢文のままであり、翻訳されなかった。伝来当時は漢文のままでも充分理解されたと思われるが、その後の日本語の変遷によって、お経はすっかり難解なものとなってしまった。このことは仏教が形骸化する一因になったと考えられる。その中で、般若心経は様々に解釈されて広く普及し親しまれている。稀有な例である。前置きが長くなったが、般若心経について素人なりに考えてみたい。
 まず、登場人物(神仏)を明らかにしておきたい。いきなり登場するのは、観自在菩薩。実質的な般若心経の主役である。お釈迦様の弟子の一人と思われるが、モデルを特定することはできない。直系の弟子か、数代を経てるかどうかも分からない。実在したとしても時期は不明である。般若心経の作者の創作かもしれない。
 もう一人の重要な登場人物は、舎利子である。教えの聞き役である。では、誰が教えを説いているのか。観自在菩薩であるのか、作者なのか。あるいは第三者か。仏はほとんど登場しないが、一か所、三世諸仏とある。文章の前後関係がはっきりしないので、お経の中での役割は良く分からない。もう一人重要人物は、もちろん般若心経を唱えている自身である。それぞれの立ち位置をしっかりと理解した上で、般若心経に取り組んでみたい。

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