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人生勝ちたいんや


1.勝ち組と負け組

いつ頃からなのでしょうか。人生に勝ち組・負け組というラベルの貼り方が社会に広がりました。声を大にして言いたいのですが、私はそのような人生を勝ち負けで判断する考え方は好きではありません。心の底から、人生に上も下もないと思います。収入や健康の値ならば、数値化して人と人とを照らし合わせられますが、人生を照らしても、具体的な事例が目立ち過ぎて比較が難しいでしょう。だから、人生に上も下もないのです。人生は量ることのできない領域なのです。

要するに、勝負というものには常に、何で勝ち負けを争うか、尺度、いわゆる勝ち負けの基準が存在しますが、人生を尺度にしても個体差があり過ぎて比べようがない、よって勝ち負けを決められないということです。

もし、人生の全てがお金で決まると仮定したならば、生涯年収の数字を比較すれば、人生の勝ち組と負け組が顕になるでしょう。しかし、お金は人生を支えるための手段であり、目的ではありません。よって、生涯年収や資産で競っても、人生の価値を競ったことにはならないでしょう。

人生の勝ち組・負け組の項目の中には、結婚しているかしていないかなども含まれるのでしょうが、私には人生の勝ち負けを測るために結婚などの項目が適切な尺度になるのかもよく分かりません。

長くなりましたが、私が勝ち組・負け組というカテゴライズが嫌いな理由は以上です。

2.勝負があるならば勝ちたい

1だけを読むと、それではなぜあなたは「人生勝ちたいんや」というテーマにしたのかと思われるかもしれません。説明すると、私は人生を他者と競う気はないのですが、人生における勝負には常に勝ちたいしと思っているということです。

例えば、受験ならば、何がなんでも勝ちたい、すなわち合格を掴みたいと思います。後悔の無いように、一切の妥協をせずに努力を重ねたいと思って18歳の自分は頑張っていました。しかし、他者と競って彼らよりも良い点数をとって、難しいといわれている大学に合格してやろうとは微塵にも思っていませんでした。つまり、試験という人生に現れた勝負には「勝ちたいんや」と強く念じて努力しましたが、勝負はあくまでも自分自身の問題であり、他者に向けてのものではなかったということです。

仕事でも、いつも勝ちたいんやと思って業務にあたっていました。私の勤務していた学校では、担任別レポート提出率ランキングというものがありました。80名程度の教員の中で、どれだけ担任生徒のレポート提出を促せているかが、ランキングになって発表されるのです。これには、闘志がメラメラと燃えました。絶対に1位になってやると入社した初日から思いました。ちなみに、一番良かった時で2位だったので、入社した時の熱き目標は達成できませんでした。そういう意味では、この闘いは負けてしまいました。

ここまで書いてきた事例から要点を抽出すると、人生に出現する勝負事は大好きで、どうやって勝とうかとワクワクします。負けず嫌いなので何が何でも勝ちたいと思います。ただ、この私がワクワクする勝負事というのは、合格・不合格や提出率で順位になるものなど、競争の尺度がはっきりしているものなのです。

上記のような、ルールと勝敗の決め方が分かりやすい勝負が好きです。そして、絶対に勝ってやろうと思います。

3.勝つまで闘う

ただ、自分のことを百戦錬磨といいたいところですが、私は負け続けの人生です。何がどう負けたのかについてはまた別の時に書きますが、勝ち上がってきたわけではありません。しかし、逆にいうと負けた時の気持ちの切り替えには慣れてきました。

負けることは怖くありません。
負けたならば勝つまで闘えば良いのです。

10回でダメなら11回、11回やってダメなら12回、そうしているといつか勝てる時がきます。

同じ勝利数ならば、
負けの数が少なくて勝率が高いより
勝率が低くなってもたくさん闘った人になろう

と私は思います。

4.己との闘い

ここまで通してなんとなく読み取れるかもしれませんが、結局は己との勝負をいかに制するかです。今日は遊ぶか・自己研鑽するか、人生は毎日そのような状況の連続だと思います。楽な方に流れるのではなく、自分で自分を律するという勝負に勝たねば、どんな闘いにも挑むことすらできません。


勝ち組には興味がないけど、人生では勝っていたい、勝つためにまずは自分に打ち克ちたい

そんな戒めでした。

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