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【社会・国語】炭坑節から学ぶ進歩と調和

1.「人類の進歩と調和」の大阪万博

大阪・関西万博の開催が間近となりました。関西民の私は観覧に行く予定なので楽しみにしています。今回はどのような展示がなされるのでしょうか。以前の大阪万博(1970年)では、アポロ計画で宇宙飛行士が持って帰った「月の石」が大きな目玉であったことは、当時を知らない私でも悟っています。
2025年の大阪・関西万博の開催が、私たちの子や孫の代にどのように語り継がれていくのか興味があります。

ところで、1970年の万博のテーマは「人類の進歩と調和」です。「進歩」と「調和」の両立は困難なことですが、そのことは人類にとって永遠のテーマであり理想でもあります。実際に、この時代は高度経済成長の日本、月面着陸をしたアメリカという事実からもうかがえるように、現代以上に、輝かしい未来に向けて人類は進歩や調和を試みていたのかと推測します。

2.身近になりゆく月

1970年の万博で展示された月の石は、1969年にアポロ11号が人類史上初の月面着陸を果たした際のものでした。このことから私が驚くのは、私(29歳)の親世代(50~60代)が生まれた時代には、まだ人類で誰一人として月に着陸した者がいなかったという事実です。考え方によっては、つい最近まで月を歩いた人は存在しなかったわけです。もっとも、1969年のアポロ11号の後にも月面着陸した人は10人しかいないようなので、依然として月が現実世界から程遠い世界なのは確かです。

しかし、50~60年前に比べれば、お金さえあれば宇宙にチャレンジできる土俵になりつつあると思いますし、学問の世界では物理学や理科の領域で年々、知識が豊富になっていると思います。

この数十年で、いろんな意味において、月は身近になっていると思います。

3.炭坑節 

月が出た出た 月が出たヨイヨイ
三池炭鉱の 上に出た
あんまり煙突が 高いので
さぞやお月さん 煙たかろ
サノヨイヨイ
(以下略)

九州炭坑節(福岡県民謡)

上記は、福岡県に伝わる民謡の一節です。いわゆる「炭坑節」というものです。この曲のはっきりとした発祥は諸説あるそうですが、明治時代に炭鉱労働者が唄っていた民謡が原曲だとされています。戦前である昭和7年(1932)にはレコード化されているそうです。

私はこの民謡が大好きです。歌詞に魅力を覚えます。ここからは、私なりの歌詞の解釈をさせていただきます。そのために、語句の紹介もさせていただきます。

4.月と煙突と煙

まず「月」ですが、これは日本人にとっては自然の象徴であり、神々とのつながりであり、自然の一部でもありました。いずれにせよ、少し神秘的な存在であったのではないだろうかと思います。なぜなら、昔の人にとっては農耕や漁業の際には月の観察が欠かせないですし、月見などの月を鑑賞する行事も多く、和歌には月を詠んだものが多いからです。また、夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話、「月を愛でる」という言い回しからも、月とは俗世と距離をおいた、神秘的な存在だったのではないかと思います。

次に「煙突」です。今の時代と戦前の時代で、煙突を造る大変さがどのように変化したのかは分からないのですが、「炭坑節」の曲の時点では、人間が空高くを目指して手作りで煙突を造っていたのでしょうから、煙突とは近代の人間の技術力を象徴したものだったと考えられます。明治維新以降の日本人の技術力を示したといっても過言ではないと思われます。

最後に「煙」です。煙は、人々の労働量を表しているのではないかと思います。煙突から煙が出ているということは、人々がそれだけ炭鉱で働いているということです。活気あふれる労働場を「煙」という一字で明示しているのではないでしょうか。

5.月に感情を込めた時代

4の単語の解釈で考えると、「炭鉱節」という民謡には、近代の技術力躍進を誇示しながらも、古代から続く、月という神秘性を大切にする文化の名残がみられるように思えます。端的に表すと、「炭坑節」は日本の伝統と近代文化の融合だと思います。

昔から神秘的とされてきた月に、近代文明の象徴である煙突と労働者が生み出した煙が迫っているという部分から、時代の融合を感じます。人間の威信である長い煙突があっても、「さぞや お月さん 煙たかろ」と、月の魂に気を配っているポイントが素敵だなと思います。自分たちの力を見せつけながらも、どこかに自然と共存する、自然の畏怖を敬う姿勢が見られます。

「炭坑節」の舞台となった炭鉱で採れた石炭は、福岡県の八幡製鉄所で使用されたそうです。八幡製鉄所は、日清戦争に伴う下関条約で得られた賠償金を用い建設に成功しました。そして、日本の重工業化を支え、日露戦争を支える働きをしました。私は、どんなことがあっても戦争を肯定的に捉えることには抵抗があるので、その日本の歩みを単なる重工業化への進歩と片付けたくはないのですが、今の日本があるのは炭鉱や製鉄所のおかげであることは確かでしょう。

ともかく、「炭坑節」を学ぶと、明治・大正という時代は近代化・富国強兵・欧米列強の仲間入りを目指して自分たちの力を鼓舞していた一方で、古代から続く八百万の神といった考え方に近い、自然の恵みを大切にする文化があったのではないかと感じられます。

6.おわりに 月にうさぎはいるのか

今度の万博で、科学技術の進歩を体感できることはとても喜ばしいことだと思います。1970年の万博の際に、月の石を見て感動した方に似た感情を味わえるかもしれないと思うとワクワクします。私は、ワクワクするためにも万博に赴きたいですし、万博に限らず文明の発展を楽しみたいです。

「炭坑節」を唄っていた、誰もが全然月に手が届かなかった時代、人々は煙突から出る煙に、夢を乗せて月までいってこいというような気持ちだったのではないでしょうか。さぞやワクワクされていたのではないかと思います。そうでなければ、月をあのように擬人化することもないと思います。

月の正体が分かれば分かるほど、膨らむワクワクもあれば、しょんぼりする想いもあるかと思いまず。しょんぼりとは、なんだ、月にうさぎはいないのか、といった残念な感覚です。月が身近になってからの方が、「炭坑節」のような擬人化も減ったように思えます。

いま求められていることこそが「進歩」と「調和」なのだと想います。月に限らず探索や研究・学びを深め、一方でお月さんが煙たがっているのではないかといった共感力も大切に調和していくのがよいのだと。


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