辞職旅#9.盛岡から仙台まで
年末辞職後、思い切って去った一人旅。 ローカル線限定の東日本&北海道フリーパスで 2012年1月4日~10日間の記録
1day:東京(上野)→古河→宇都宮→黒磯→郡山→福島→仙台→一ノ関→盛岡(カップル泊)<自宅最寄り駅含めて9回乗り換え>
2day:盛岡→八戸→青森→蟹田→木古内→函館→森→長万部→洞爺(地元に恵まれ閉めた宿で素泊まり)<8回乗り換え>
3day : 洞爺→東室蘭→苫小牧→登別→札幌(ネット喫茶店泊)<3回乗換え>
4day : 札幌→南小樽(ビジネスホテル泊)<1回乗り換え>
5day : 小樽→長万部→函館→木古内→青森→八戸→盛岡(カップル泊)<6回乗り換え>
6day : ✅盛岡→平泉→一ノ関→松島→仙台(ネット喫茶店泊)<4回乗り換え>
青森、秋田、岩手、宮城東北4つの県を繋げつ交通の要地
盛岡で迎える旅6日目の朝。
もう帰り道で
この旅も、そろそろ先が見えている。
「東日本&北海道フリーパス」はローカル線で7日連続利用限定なので
この甘苦い夢も明日で終了。
続けるハードな日程で
疲れがなかなか取れないまま盛岡駅へ向かう。
まさに夜が明けようとする暁。
1月、真冬の空気は肺腑深くまで
感性と理性の闘いで困っている脳の一番奥まで
重たい体を刺激し
ぱっと感電させ
不思議なエネルギーを生成する。
昨日の終着地であった盛岡は
今日は新たな始発の原点になる。
終わりは新たな始まりと繋がる。
という…
よし、行くぞ!
やっと体が動く。
一ノ関行始発はがらがらで正に自分貸し切り状態。
もう慣れて珍しくもないこの風景も、今日で最後だろう…
という寂しい気分も少し、
いつの間にか車窓から広がる一幅の絵に魅了される。
旅以後を考える。
現実の事がどんどん頭を支配する。
旅からの大切な教えにも関わらず
これからぶつかるべきの冷静な現実は
決して冗談じゃない。
正に「人生の非常事態」そのもの。
正直、怖くないと言ったら
それは嘘だと本音は叫んでいる。
東京までの距離が縮むほど
心の奥には「漠然」という風船玉がどんどんふくらんで
自分を支配しようとする。
冷静、
落ち着く
ある程度目処は立っている。
東京へ戻ると改めて就活をしながら
生活費を稼ぐ為、知人の紹介で
工事現場の日払い仕事をするつもり
大学生時代経験はあったが、
国も環境も全く違う
上手くできるかな。
日本でこの歳でまたやるなんて…
お前!まだ甘いなあ…
現実を見てしっかりしろよ!
お前が今そんなのいう立場かい?
生き残るのが何よりだ、
自尊心なんて車窓に捨てちゃえな!
車窓を見ながら自分中で闘っている間、
ローカル線は平泉へ到着。
なったばかりからなのか世界遺産の町としては閑散というか、降りる人は自分しかいない。
中尊寺までは1.5㎞。
もちろん、歩く
積もった雪で道はすべすべ
坂道、山道
そして、中尊寺へ到着
千年以上という歳月の間、
焼失と再建されながら
栄枯盛衰の歴史を黙々と見守った
阿弥陀如来は無欲無念の表情
歴史的な遺産との出会いはいつも妙な気分になる。
自分もいつかは
歴史という巨大な川の流れに消えるだろう。
松尾芭蕉の足跡に出会う。
323年前訪れ
当時、荒らされた中尊寺の様子を見て嘆いたと言われら彼は
今の中尊寺を再び訪れたらどう思うなのか。
彼も歩いて見たこの道、この風景
150日間、2,400㎞「奥の細道」を歩いた彼に比べると
今の自分の旅は埃にすぎない。
今の状況は大変かもしれないげど、
安全に列車に乗りながら、
ちゃんと食べながら、
建物の中で寝ながら
元気に歩く。
ぼろぼろといってもやっぱり今の自分
贅沢な方だなあ…
感性が理性を麻痺させ
感傷的になった今
さらに新たなエネルギーが出る。
旅は続ける
一ノ関で仙台行ローカル線に乗り換え、
1時間余りで宮城県に入り松島へ到着
そして
徐々に日が沈む。
日本三景
絵の様なこの風景を
黙々と
じっくりと
闇に囲まれるまで目に入れる。
胸に刻む。
もう時間。
ここでは予算を超える宿しかないので
再び駅に向かい仙台駅へ到着。
札幌以後久しぶりの大都会に一瞬頭がふらふらする。
従ってデジタルカメラもふらふらする
人、人、車、車、騒音、騒音…
一気に大波の気勢に押し寄せる。
急に疲れが出る。
変な気分になる。
人もなかなか会えない田舎より、
人に囲まれている大都会の中が
もっと寂しいという。
都会は寂しい。
いつになるか分からないけど、
今度訪れる仙台は
もっと明るく来られるように…
※次の10.は[退職旅]の最終話となります。