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(自己紹介①)会社をやめて、地元にUターンしようと思った理由

「なぜ地元にUターンしようと思ったのか?」という質問は、いろいろな場面で尋ねられることがあります。質問する人は気軽に質問していることがほとんどなので、こちらも「なんとなく直感です!」とか、簡単に答えたりすることも多いのですが、「初心忘るべからず」ということで、当時どんな事を考えていたのかということを、まとめておきたいと思います。

○早く田舎から脱出したかった。

私は今も暮らしている鳥取県大山町で生まれ育っているのですが、こども時代は、地元のことに全く興味を持っていませんでした。幼少期は学校と家の往復だけ。親は休日も共働きだったので、休日はでかけず、近所の子どもたちとサッカーしたり、家でテレビやゲームの日々。地域にどんな人が暮らしているのかとか、自然のすばらしさとか、いわゆる、ふるさと教育のようなものにはいっさい影響を受けずに育ちました。都会に憧れをもち、一刻も早く田舎を脱出したいという気持ちで、進学とともに、地元を捨てるように都市部へでていったタイプの人間です。

興味の方向性として、地方というよりも、断然、海外志向が強く、英語も比較的得意でしたので、いつか海外で暮らしたい、働いてみたいという気持ちが強かったです。

○ある出会いがきっかけで地方に興味を持った。

そんな私が地方に興味を持つようになったのは、20代半ばの時に、当時から北海道十勝などで活躍されていた後藤健市さんと出会ったことが大きかったです。後藤さんは、当時、場所文化機構という組織の代表をされていて、私が友人の教育系NPO立ち上げに関わっているなかで、地域活性をテーマにした講座の講師として後藤さんをお招きすることになり、お話を聞く機会がありました。

後藤さんは「場所文化」という考え方を通じて、地域の固有の価値や違いを地域の“個性”として生かすことを提唱し、自らも、雪原の真ん中にビニールハウスでフレンチレストランを作ったりと、「自分たちの身近なところにある地域の宝物を再発見すれば、めちゃくちゃ楽しい遊び場になるよ」ということを体現されていました。(現在、後藤さんはスノーピーク地方創生コンサルティング代表取締役会長という肩書きでも活躍されているようです。)

後藤さんの話を聞いているだけでムズムズしてきて、とにかく、なにか動きたい!という気持ちになったのを覚えています。すっかり感化された私は、会社員として働きながらも、休暇を利用して地元へ頻繁に帰るようになり、地域活性イベントなどを企画するようになります。こうして、自分のなかで一度は断ち切ったはずの故郷とのつながりを修復しはじめます。

田舎の舞台にして遊ぶイベントを企画するようになった

○上海へ赴任。海外から故郷をみる。

当時の私は、ゲーム会社のセガ海外事業部で働いていました。中途入社だったのですが、3年くらい働いたタイミングで、かねてから希望していた海外駐在のをチャンスを得て、上海に赴任することになりました。ちょうど日本の地方にも興味を持ち始めていた時期ではありましたが、昔から海外志向の私は、意気揚々と上海へ飛び立ちました。

きっと今も状況は大きく変わっていないと思いますが、当時(2013年)の上海は、PM2.5の大気汚染がひどく、健康のために外でランニングをすると健康を害すると言われていました。うわさでは、政府の大気汚染対策として、排気ガスを減らすために屋外BBQを禁止するという謎の政策の話もでていました。

そんな状況でしたので、上海人の友人に鳥取の自然あふれる風景などを写真で紹介すると、「最高!」「いつか行ってみたい」と興奮して言われました。当時、地方創生とかインバウンドという言葉はまだ世間には浸透していない時期でしたが、過疎っている日本の田舎にも、上海みたいな都会に住む外国人旅行客が殺到するときがいつかくるのかもなと、このとき思いました。

○自分でなにかをつくりたくなった。

残念ながら、セガの上海でのプロジェクトは、私が赴任してから1年半で撤退することが決まり、日本に帰ることになりました。帰国してからは、セガ社長室配属となり、「インデックス」という当時セガサミーグループがM&AをしたばかりのIT企業に半年間出向します。そこでは、大企業の風土とはまた一味違う、ベンチャー気質の人たちと一緒になりました。私は、親会社から派遣された立場で、彼らの「こんな新規事業を立ち上げたい」というイキイキしたプレゼンを聞いているうちに、「自分もゼロからつくる側に行きたい」と思うようになりました。

元々、私の出向は短期間だけの話になっていて次の配属先もほとんど決まっていたのですが、こんなキリの良いタイミングはなかなかないと思い、会社をやめることにしました。

以下が、当時の退職メールです。

私の退職メール

いやぁ、本当に自分の会社員生活は、上司に恵まれたなぁと、しみじみ思います。

いま、これを読み返すと、今後の話のところを格好つけた感じで締めていたりして、こそばゆくなります。当時、具体的に次のことを決めていなかったのは本当で、方向性として、故郷に帰って海外と故郷をつなぐような何かを自分でやってみようとだけ思っていました。とりあえず、地元に帰る前に、語学を鍛えるためにフィリピンの英語学校に2か月行くことだけ決めていました。

ちなみに、このメールを書いたときが2014年ですが、8年後の現在、私は、小さな規模ですが、地元でホテルを起業しており、海外インバウンドも積極的に取り組んでいるので、結果的には、当初の方向性から大きく外れずに来ているのかなと思います。さすがに、町議会議員までやるとはこのとき想像していませんでしたが…。

Uターンしてからのことは、また別途、まとめていきたいと思います!


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