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飛び込んでみた世界

前回の記事の続きです。
シンガポールで現在の旦那を繋げてくれるキューピットと出会う。
元々(現在旦那)=Aくんは日本に来る予定があって、キューピットくんが我々を繋げてくれました。
意気投合し、彼が母国であるフランスへ帰国した際も連絡を取り合っていました。
そこで、Aくんは日本でのワーホリを決意。1年間一緒に過ごしました。
1年の月日はあっっという間に過ぎていき、Aくんはフランスへ帰国。
もう、終わりかな?心が避けそうになりました。まだ、一緒にいたい。お互い同じ気持ちでした。
こそで、Aくん"次は気の番だよ。フランスの素晴らしい所を観てほしい"っと。
人生のイタズラっていつもこんな時に、、

私には2つの選択肢がありました。仕事でヘッドハンティングをしてもらってたのです。
キャリアを選ぶか愛を選ぶか。
私が選んだ道は、フランスへの道。
沢山悩みましたが、フランスへ行ったこともないし、こんなチャンスないな。飛び込んでみようっと思ったんです。
もちろん、フランス語なんて喋れないしどんな文化なのかもわかりませんでした。
ただ、好きな人と一緒にいたい、日本でない違う国で住んでみたいなっという好奇心はありました。
決心し、フランスへ。
そこからは、想像もしないことが沢山起こりました。
今でも覚えています。フランスに着いたのは深夜3:00、タクシーに乗るはずだった。
ただ、その当時は、本物のタクシー偽タクシーがあることなんて知らなかった。
無理やりスーツケースをトランクに入れどこにいく?みたいな、ものすごく強引に乗ったタクシー。終始このドライバーは、大丈夫大丈夫みたいなことを言っていたのを覚えています。
無事目的地には着きました。
問題は決済時。はい。150ユーロです。
え?!150ユーロ?!まじかよ?!
深夜だったし、変なことされたらもっと怖いから払いました。参りました。
私のフランスの第一印象は、""やばい国だな""です。(笑)
あ。言い忘れましたが、Aくんは次の日の便でフランス着だったため、不在だったんです。
彼のアパートに着き、またまた驚き。
アンティークと言えば聞こえはいいが、日本のアパートと全然違いました。(笑)
その時はでした。
日本みたいに湿気がない分いいのですが、風が吹かないと暑いです。そのアパートの5階。エレベーターはもちろんありません。
すべてのスーツケースを部屋へ移動するだけでも汗びちょびょ😅
そこで、エアコンないかなーーー?暑いよ〜〜!っておもって見つけたのはコレ。
chauffage…..ヒーターみたいなやつです。
でも、その時の私は、こっちのエアコンはコンパクトなんだなって。(笑)
その時はとてつもなく疲れていてハプニングがたくさん起きていたため、、、。精神状態を想像はできますよね?(笑)
そのヒーターをつけて寝ました。暑すぎて逆に熱中症になるんちゃうか?っと思い、窓を開けました。
翌日、Aくんにしっかり教えてもらいました。そして、笑い話になりました😸

そこからは、フランス語を習得するために勉強の毎日。会話ができなくムシャクシャする毎日。大変という言葉で片付ければ、軽く感じるくらい。私は人との繋がりを大切にしてきたからこそ、会話ができない、通じ合えないことがストレスでした。
パン屋へ行く、買い物へ行く、日本では簡単なことがフランスだと、試練でドキドキしながら、レジに並んでいたことを覚えています。
時には、"なに言ってんの?"みたいな顔でみられたり、相手にされず、時間が過ぎたり、本当にいろんな濃い体験をしました。
もちろん、中には天使のような人もいました。そんなときは、心からありがとうって思っていました。もっと頑張ろうって思えました。
フランス語検定 B1を習得することができました。そこから、少しづつ自信もついてきました。Aくんの友達とかに会うときはリスニングトレーニング(笑)
卓球みたいに会話が早いから、反応したくても、もう既にそのトピックは終わっていたり。(笑)
虚しいおもいは、まだまだ続きました。
次はB2をとる覚悟を決め、語学学校へ3ヶ月間通いました。朝から夕方まで。その後は図書館で勉強。今思えば、よくやったなって思います。
無事B2を習得することができました。
あぁ、頑張って良かったなぁって心の底から思いました。
しっかり会話できるまでは2年くらいはかかりましたよ。
言語習得って、本当に必要、生きるために必要ってなれば、誰だって習得できるって思いました。後は、やる気😉

あ、同時進行?的にバイトもしてました。
L'occitaneでも働きました。この話は次の記事で書きますね。まぁ、初日からフランスらしいハプニングだらけでした。😂

では、🫡



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