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日本人は無宗教ではないと、私は考えます/罰が当たる・お天道様が見ている/心の支えと良心を守る存在は1人1人違う

職場で、不必要な残業をせず定時で帰る事を貫いている人が、腹に据えかね、不意にこぼした言葉が、、、

ばちが当たる」


罰は、外国語に翻訳されると、司法による刑罰と誤訳されそうですが、神さまからの罰が当たるという意味合い

この場合だと、、、
残業する必要がないのに小細工や遅延行為を繰り返して、不当・不正に残業代金(お金)を得ようとするのは、、、

ずる賢くて・人として恥ずしい・みっともない・情けない振る舞いに感じたり思える…

それを、(その人が思う)神さまが見ているから、いつか当人に罰が当たると思う…

宗教(神さま)抜きに考えると、仕事への取り組み方や考え方・会社(雇用主)に対しての誠実さ・美意識(価値観)に関わること

長年、特定の宗教団体に入信しない事が、無宗教なんだと信じ思い込まされていました😰

日本人に限らず、実際に目に見える・聞こえる・触れられて、自身が実際に経験して証明される事実しか認めない人が、無宗教なのでは、ないでしょうか?

「罰が当たる」「お天道様が見ている」という感覚を大なり小なり持っている人は、無宗教でなく神さまがいると思います。

私が思う神さまは、大切に思う存在(*実存・実在に限らず)
・ご先祖さま
・大切な人(家族・友人・恩師・先輩・同僚・後輩・上司・社長など)
・大切な動物
・大切な植物
・大切な物
・大切な場所
・幽霊や妖怪お化け
・地元や故郷の神社やお寺
・応援している芸術家(作家・漫画家・歌手・アイドル・スポーツ選手など)
・疎遠でも、親しい交流があった人や恩がある人
・小説・マンガ・アニメなどの登場人物
・空想や想像の存在

100人いたら100人通りで、広く多岐に渡り、細かく違うと思います

ひときわ強く大切に思う存在がいるし、他にもたくさん大切に思う存在があるから、一つに絞りこめないだけと私は思うのです。


「推し」という言葉に近く、1人の推し(応援したり、好きだったり、大切に思う人)が出来ると、他の推しが増えて、推しの対象が広がっていくように、、、

1人1人にとっての神さまがいて、、、
・その存在が生きる活力・希望・勇気を貰っている
・人として外れた行いをしたり、自暴自棄になって自分を粗末にしたら、残念に思われるし、悲しい思いをさせてしまう…
だから、人として格好悪いこと・情けないこと・みっともないことはしたくないという良心の支えに


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