顔を立てる・花を持たせるのも処世術/比較競争地獄で生きる私達…
・隙あらば他人の些細な失敗・失態を肴に、批判・攻撃して優越感に浸る
・自分の方が仕事が出来て優秀・有能だと思われたい・優位に立ちたい
職場で比較競争地獄に陥っている人達と、関わる中で感じることです…
私の場合、数年前からTV番組とCMを見なくなった事で、他人と比較する事が大分薄れました。
希に良質な内容も有りますが、長く見続けていると、知らず知らず知らずに、現状否定ばかりされ(今の自分ではダメ・不十分)、無限の自己変革(変わる・成長を)求めら続けれる苦しみ…
無意識に溜った不満や鬱屈は、身近な他人に向けられる
私にとって仕事は、与えられた役割と責任さえ果せば、楽しく・ゆるくやれたら十分だと思うんです。
けど、比較競争地獄に落ちると、、、
・仕事ができない人
・仕事が遅い人
と評価されるのを、極度に怖れてしまう…
仕事ができる・できない云々は、誰に対しても公平な客観的評価ではく、私情(好き嫌い)が混ざった主観的評価をされる・するのが人の性ではないでしょうか?
同調圧力が強い国民性の中で、職場に、のんびりそうな人・ゆるそうな人が居られる職場は、頑張り過ぎ・無理し過ぎて働かずに済む、抑止力を担っていると思います。
過度・過大な比較競争で辞めさせる・退職に追い詰めて排除すると、殺伐とした職場になり、《休憩時間を削ったり・サービス残業・休日出勤・仕事を家に持ち帰り》業務達成するのが、当たり前だ・当然という雰囲気に変わる怖れも…
社長や幹部が、適切な人員配置をしない等は、会社自体がブラック企業です。
私の働いた経験の中で、上層部がそこまで求めていない事を、職場の一部の暴走により、人が定着しない・入れ替わりが激しい、ブラック職場になっている場合も有ります。
他人は変えられないですが、自分を守ったり、職場の雰囲気を守る為に、困った人に、、、
・顔を立てる
・花を持たせる
事で、本当の仕事能力・実力が違っていても、「すごいですね」と言ってあげるのも、有用だなと感じています。