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アメリカで子宮をとった話、その4

痛みがそこそこなら、いくらでも眠れちゃうんですね。
しかも術後の痛みは、今までと違って、いつかは終わる。
希望のある痛み。


ドクターは朝6時前に診察に来るよって言ってたけど、昨日のあの時間まで手術して、様子を見にきてくれて、まさかそんな早朝に?
と思ってたけど、本当に来てくれました。
ありがとうございます。

一晩付き添ってくれた夫は仕事だったので、夫のステップマザー、義母マドレがお迎えに来てくれました。
病院の朝食は興味があったので、とりあえず全部口に入れてみることに!
オートミールって食べた事なくて、今回初めて食べて、あまりの不味さに私がギャーってなってるのを見て、マドレ大爆笑!
「ちゃんと作ったオートミールは美味しいから、後で作ってあげるね。」って言われたけど、恐れおののいています。
ちなみに朝食はオートミール(何味なのか不明)、ブルーベリーパンケーキ、フルーツ、モーニングソーセージでした。
モーニングソーセージっていうのは、朝に食べるんだけど、ソーセージと言っても、某ハンバーガーショップのソーセージエッグマフィンに入っているような、スパイスとかの味付きの薄いハンバーグみたいなやつで、その街その街の愛されソーセージみたいのがあって、当たりはめちゃくちゃ美味しいんだけど、病院のはただしょっぱいだけで残念。いいんです。病院のご飯は不味いっていう話のネタが手に入ったから。


一応なんとかパンケーキは食べきって、点滴もはずれ、いつ退院できるか聞いたところ、もういつでもいいというので、朝9時ごろ帰ります、と言ったら、車椅子で玄関まで送る仕事(ポーター)の女性が迎えに来てくれました。
朝食を食べないと退院出来ないかなって頑張ったけど、なんなら食べずに帰宅してもよかったらしい。ポーターの女性が教えてくれました。


自由だー!

術後、義父のうちで1週間くらいお世話になろうという事で、自宅から炊飯器と米、実家から送られた梅干しを持ち込んでおきました。やっぱり白い米と梅干しが最高なんだよね。
みんなは興味深々だったにも関わらず、術後の私の大切なお粥だ、という事で、遠巻きに見てくれてました。
最初の2日はお粥食べてたんだけど、結局ね、2日目の夕飯から食べなかったよね。マドレの作るメキシコ料理が美味すぎるのよ。美味しすぎて食べ過ぎて、食べ過ぎたら、お腹が張って内側からお腹押されて傷が痛むっていう事がわかったからね。学びを得たんだけどね。でも食べちゃう。
腹八分目が大切って、こういう事だったんですね。


退院時驚いたのは、まだお腹に中に鎮痛剤を持続的に入れておく管が入れっぱなしで、2-3日でポンプの中身が空になったら、自分で抜いて、ガーゼ当てといてねって言われたこと。私は日本で看護師やってたので、医師がやってるの見てたし、抜いてみたかったからいいけど、みんなはどうしてるんだろう。

退院した次の日くらいまでは、階段は痛くて上り下り出来なかったけど、家の中と庭をぐるぐる散歩しました。お腹よ動けーっていう気持ちで、動いて寝て、を繰り返して、ロキソニン飲んで痛みが和らいだら動く。
そんな感じで、痛みが和らいだ時に、オナラも頑張りました。ガスを出すのに力を入れるとめちゃくちゃ痛いので、スムーズにガスを出したくて。でもやっぱり痛い。痛くて諦めて、後回しにするほど痛いので頑張るしかない。もはや根性論なのか。。

3日目、気づいたらポンプの中身も無事に終了して、夫がちょっと引き気味に見守る中、優しく管を抜きまして、結構長かったので、途中で千切れず綺麗に抜けて安心しました。途中で切れちゃって、お腹の中に残して、病院行くのは寒くて面倒くさいもので。
抜く時は先端まであるか確認してくださいね。

この時は本当に、この痛みはいつか終わるんだって思うと、痛くても頑張ろうって思えました。今では本当に、最後に痛み止め飲んだのいつだろうって思い出せないくらい、あの時の痛みと無縁になって、ありがたい。
ちょうどこの手術終わった後くらいからCovidがはじまって、手術がすぐに出来ないような雰囲気になったので、あの時手術受けておいてよかったー!

手術した事で、ナプキンやタンポン、鎮痛剤やピルなどのお金もかからなくなったし、いつ痛みが来るんじゃないかっていう不安な暮らしも無くなって、QOL爆上がりです。本当に衛生用品とか鎮痛薬とか、費用がかかりすぎる。特に内膜症とか筋腫なんかで、出血量が多いと、夜用ナプキンとか、ショーツとか、さらに割高で毎月何千円払えばいいのやら。


ただ一つ、悲しい事は、もう自分で子どもは産めないんだなぁっていうこと。
不妊治療で授からなくって、諦めたはずなのに、やっぱりあるとないでは大違い。それが子宮。
これはいくらでも反芻できちゃう気持ちなので仕方ないね。

とはいえ、あんな痛みにまみれて、明日動けるかどうかもわからない暮らしからおさらばできたのは、本当に幸せなのでよかった。
私のサポートをしてくれた夫や家族、遠く日本から心配してくれた両親や、手術をささっとしてくれたドクター、楽しい雰囲気にしてくれた病院の皆さんに本当に感謝でいっぱいです。

おかげさまで、退院して4日目には、夫の友達に会いにレストラン行って、美味しいご飯食べられたし、義父のお家でお手伝いさせてもらって、適度に動けたし、アメリカの、すぐに帰れよ方式はよかったなーって思ってます。

そうそう、入院費用は私達の医療保険がカバーしていたので、さほどかからなかったですが、費用は医療保険次第なのでなんともいえないです。

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