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犬のぬいぐるみ『ある日記「ロボット・ドリームズ」2024年11月19日』を読んで
noteを読んで短編映画を見た感覚になった。最初の陽気な音楽が流れていそうな柔らかさと手袋を失くしたことに気付いた瞬間の心臓も時も何もかも止まる冷たい感じ。何日も探して探して少し前を向いてまた振り返る。感情がぐちゃぐちゃだ。
この手袋のエピソードは春とヒコーキ土岡さんのYouTubeチャンネル映画の話をドガチャガのライブ配信でも少し喋っていたのを思い出した。
そして私は今、失くして泣くようなものを持っているのか考えた。家族とか仕事とかそういうものではなく物資的なもの。携帯やパソコンなど失くなったら困るものはあるけれど、泣くようなものは思いつかなかった。
今、家のものが全て消えてなくなっても「不便だな」「また買い揃えるのめんどくさいな」「お金がなくなっちゃうな」と思うだけな気がする。ライブの半券や銀テープ、サイン入りのチェキにCD。大切なものはあるけれど全てが消え去っても多分私は泣かない。落ち込んだりショック受けたりはするけれど泣かないと思う。
声を上げて泣けるほど大切なものがある、大切なものをくれる人がいる、そんな倉田さんが羨ましくなった。そして私には何もないような気がして悲しくなった。
そんな私でも失くしたものの中でずっと忘れられない物がある。小学生に上がる前ぐらいまで大事にしていた犬のぬいぐるみだ。ラッコが海を漂っているような体勢で灰色っぽい犬だった。大人の片手に収まるぐらいの大きさで子供にとって赤ちゃんのように抱き抱えるのにちょうどよかった。
小学生に上がるころには触ることがなくなり、勉強机の後ろの棚に置かれていた気がする。そのぐらい小学生になった私はぬいぐるみへの興味を失っていた。たしか千と千尋の神隠しに登場するネズミのぬいぐるみ一緒にあったはずた。
それから月日が経ち、知らないうちにいなくなっていた。さらに引っ越しを経て犬のぬいぐるみは完全に行方が分からなくなってしまった。私はぬいぐるみをポイっと捨てるようなタイプではないし、親もそうだ。きっと家のどこかにある。探せばきっと見つかるはず。
それでも探さずにズルズル来てしまったのはちょっと怖かったからだ。犬のぬいぐるみは、いつの間にか忘れられ一向に見つけてくれない私を恨んでいるような気がするのだ。
今、私の部屋にはベイマックスのぬいぐるみと抱き枕のような長いぬいぐるみが2つある。犬のぬいぐるみが見たらどう思うだろうか。
もし犬のぬいぐるみが見つかったら私は大事に大事にギュッと抱きしめると思う。ただ抱きしめるという行動は見つかった喜びなのか、「ごめんなさい」という謝罪なのか、「お願いだから恨まないでくれ!」という願いなのか、その時にならないと分からない。
犬のぬいぐるみは、「見つけてくれてありがとう」と言ってくれるのか、「酷いやつだ!!呪ってやる!!」と叫んでくるのか、それも分からない。
"僕の手袋もどこかで道ゆく人に掌を向けて挨拶しているのかもしれない。そう考えると、手袋は僕に着けられるよりもご機嫌な生を謳歌していた。"
"これでいいんだ、これがいいんだと、納得してくれるような気がした。"
倉田さんがこう思えているのは大切な人からもらった手袋を今まで大切に大切にしてきたからだと思う。倉田さんと手袋は相思相愛だったし、たぶん今でも相思相愛。
私は犬のぬいぐるみを探そうかずっと迷っている。
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