"大切なもの"は"大切にする"だけじゃ足りないって話



愛犬のことをめちゃくちゃ愛しているのに、トリミングに10ヶ月も連れて行けなかった。

ずっと憧れていた愛車を手に入れたのに、オイル交換になかなか行けなくて乗ってあげられていない。

大切に思う気持ちはあるのに気持ちしかない。
なかなか動けない。
何でそんな状態になるのか?
自分でも理解出来ずにどんどん自分の事が嫌いになっていく一方だった。

先日、ようやくトリミングの予約を取ることが出来てずっと絡んでいた毛をすっきりさせてあげることができた。

その安堵とと同時に気付いたことが一つある。

それは

自己成長ややりたい事の先に
新たな人間関係(コミュ力)の壁が立ちはだかる

ということ。

人と関わることは嫌いではないけれど、
新しい人間との関わりに踏み込むまでにすごいエネルギーを使うタイプの人間なのだと再確認したのだ。


沢山お金を払ったスクールやジムにイマイチ真面目に取り組めないのも、
フリマアプリやweb shopの商品がなかなかアップロード出来ないのもそのせいだ。
(ネット上のやりとりだとしても、むしろネット上の方が感情が伝わりづらくて苦手かも知れない←この性格も本当に面倒くさい)

英語を上達させたくて英語学科にいた事もあるけれど、
結局は現地の人との実践が一番だ!と気付いた時に
腰が引けてしまったのは言うまでもない。
(留学しておけばよかったと心の底から思う)


大切なものを守るためには、大切である対象との関わりだけを大切にしていればいいと思っていたのかもしれない。

でも実際には、対象を(取り巻く)さらに飛び越えた所とも関わっていかないと大切なものを守ることが出来ない
(そしてその大多数を占めるのが人間関係といっても過言ではないと思う)


思えばごく当たり前なのだけど、きっとそこを理解していない人、もしくは理解するのが遅くで対応しきれなかった人がいわゆる"無責任な行動"を取るのではなかろうか。


いつからか、大切なものが増えることが怖いと思う自分がいた。

"まだまだきちんと責任を負える自分ではない"という自覚があるから、
ということには気付いていたけれど

"責任"=何?

という部分についてはよくわかっていなかったのだ。


今回の気付きで(まだそんなことで燻ってんのかよ…)という自責の念を抱くことは避けられないけれど、
気付けたことでこれからは対策が出来ると思えば前向きな話だとは思う。

すぐに性格を変えることは難しいけれど、
やらなくてはいけない・守れるのは自分しかいないと自覚した時、
人間はものすごいエネルギーを発揮することも知っている。

大切なものが増えることは相変わらず怖いけど、今ある大切なものは守り抜きたいし、これからも大切なものを増やせていけたら幸せだと思うから、それに似合った自分にアップデートしていきたいものである。



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