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遠くからきこえる


 体中が汗にまみれて気持ち悪さを感じながら目が覚める。
 スマホで時間を確認すると8:31、職場についていなければいけない時刻で、一瞬にして冷や汗をかくが、そういえば今日は土曜日で、仕事が休みだった。トイレで用を足し、再び眠りにつく。

 次に目覚めたのは昼の12時頃、寝過ぎで平日のときよりもだるく感じる体を嫌々起こす。
 トイレに行く途中でふと台所に目をやると、昨日の自分から、家事のプレゼントだ。これは嬉しい。昨晩飲んだお酒の残ったコップには、コバエが2匹浮かんでいた。


 トイレに行ったあと洗い物をしようと台所の蛇口をひねる。出てくる水がとにかくぬるい。夏場は昼夜問わずエアコンガンガンにしている俺に、外が灼熱地獄だということを教えてくれる。これはもはやお湯で、油汚れだって困らない。

 洗濯などの家事も済ますと、俺はまた布団へと吸い込まれていった。飯は夜に3食分済ませればいいと思っていて、予定のない休みの日はいつもこんな感じだ。昼にたくさん寝たとしても、夜もしっかり寝られるところが俺の唯一自慢できるところだ。

 涼しくなってきた19時頃、飯を探しに外に出る。いつもは何も予定のない日に外に出なくていいよう、料理の材料や冷凍食品などをストックしてあるのに、冷凍食品なども切らしていて、そして昨日の夜は珍しく残業で、帰りが遅くなって買い物にも行けなかった。
 久しぶりに一人で居酒屋もいいし、ちゃんとした料理をするのもいい。
 歩きながら何を食べるか悩んでいると、どこかで花火の打ち上がる音がした。光は見えない。どん、どん、と鈍い音だけが続く。


 昔付き合っていた彼女と花火大会に行ったとき、彼女はこう言った。『花火って魔法みたいだよね』と。
 浴衣姿の彼女は可愛かったけど、人混みも、暑いのも、うるさいのも苦手で、その時の俺は、正直早く帰りたいと思っていた。『そうだね』と微笑むと、彼女は喜んだ。


その花火が、彼女にとって人生で最後の花火だった。

花火は本当に、彼女を隠してしまう魔法を使った。

あのとき彼女に、『そんなわけない』と言って、魔法を消してしまえばよかった。彼女はしょんぼりとした顔をするだろうけど。今ではその表情さえも見れない。



遠くからきこえる。
花火の爆発音と共に、彼女の言葉が。






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