あとがき
「あ~終ってしまった!」
最後の文章を打ち終えたとき、深呼吸をひとつしながら、心の中でそうつぶやきました。爽快感と、寂しさが交じったちょっと複雑な気持ちです。それは大きな仕事をやり終えた気持ちに似ていました。
「青春グラフィティ」
はじまりのきっかけは、本当に小さなことでした。
インターネットを利用するようになって知り合った音楽仲間たち。みんな、こだわりの音楽をちゃんと持っていて、作詞や作曲、楽器の演奏もできる。
”音楽が大好き!”
と身体全体でアピールしてる彼らのことを、いつも遠目で羨ましく思って見ていたのです。
“私がこだわる音楽ってあったかな?熱く語れるアーティストっていたかな?一人いたじゃない!もう過去形になりつつあるんだけど、夢中になったアーティストが・・・!その出会いの頃のエピソードを書いてみよう!”
そして、心の奥にしまいこんでいた、省吾との出会いを書き始めました。
最初は、彼のデビュー当時のことを紹介するだけのつもりでいたのです。数回で終るような短いエッセイのつもりでした。
“今は、あんなにビックになったけど、デビューしたての頃はこうだった。あの曲をこんな風に歌ってた・・・。”
でも、記憶を辿っていくうちにあの頃の「わたし」と再会したのです。
人と関わることが下手で、不器用な生き方しかできなくて、自信なんてこれっぽっちもない、コンプレックスだらけだったわたし。
今もそんなに成長してないんだけど、何度も壁にぶつかりながら、自分の力で乗り越えて歩き続けてきました。
そして、その時々に、いつも省吾の歌があったことを思い出したのです。
普段、めったに掃除しないところを片付けてみると、「あ、こんなところにあったんだ!」っていうようなモノを見つけることはないですか?
あの頃の思い出を綴ることで、忘れかけていた大切なモノたちとの再会ができました。
それは、若さだったり、ひたむきさだったり、優しさだったり・・・。
自分のことを書いているのに、“ああ、もっとしっかりしなくちゃ!”と、書きながら励まされることがよくありました。
1話書くたびに、気持ちが引き締まっていく。
可笑しいんだけど、“けいちゃんや、ムネちゃんに負けないぞ!”って思うことがよくありました。
「おまえにとって、浜田省吾は、もうただの憧れじゃなく、同士なんじゃないのかな?」
あれ以来、私以上に省吾フリークになった部長(今は、dumpと呼んでるんだけど・・・)が、私にそう言ったことがありました。そうかもしれません。
“どう生きるべきか?どう進むべきか?” 浜田省吾は、わたしにそれを最初に教えてくれた人でした。
だから、私はそうしてきたんです。負けず嫌いですからね!憧れだけじゃ物足りない!自分も同じように頑張らなきゃ!って思いながら歩いてきました。
自分の信じるものを守りつづけ、歩き続けていけば、きっとゴールに辿り付ける!
最初は、ひとつひとつ点在していた出来事が、そんな思いで繋がっていたんだと気付かされました。
人の一生は、スタートとゴールの連続です。ひとつの目標の達成は、次の目標の始まりでもあります。
試行錯誤を繰り返しながら、ようやく何かを掴みかけた私でしたが、その後も、さらに受難の日々は続いていきます。立ちはだかる壁はさらに高くて、道は険しくなっていきました。
でも、逃げずに乗り越えてきたから、今の「わたし」がここにいます。これからも、わたしはそうやって、歩いていくんだと思います。
あんまり、感傷に浸ってる暇はないなぁ。(笑)省吾の歌で言うと「終わりなき疾走」っていうところかな?
*************
はじめて「青春グラフィティ」を書いたのは、もう20年以上前のことです。
今年は浜田省吾のデビュー45周年。デビューの頃のことを懐かしく思い出しながら、以前書いた「青春グラフィティ」を読み直しました。
読んでいくうちに、これからの自分にエールを送りたいという気持ちが大きくなって、もう一度書いてみることにしました。何十年経っても、私は「わたし」です。これから歩む人生も、ブレなくわたしらしく生きていける!そう確信できたような気がします。(もっと悩んだりブレろ!と言われそうですが…)
最後に、いつもこの物語を読んでくださったブレイブさん、きんさんをはじめ、みなさまには、心から感謝しています。ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?