覚悟を決める
今朝は寒かったですねー。今朝は、氷点下の中で仕事でした。少しでも早く体を温めようとすると、動きが機敏になります。朝からいい運動ができました。寒い日が続いていますが、来週から2月です。公園の梅も少しずつ咲き始めました。あともうひと頑張りです!!
久しぶりに、こちらにも投稿します。テーマは「覚悟」です。
皆さんは「覚悟」という言葉にどんなイメージを持たれていますか?
「苦しい」「歯を食いしばる」「頑張らなければいけない」「辛い」などをイメージされましたか?
私にとって、「覚悟する」は、苦しいことでも辛いことでもなく、むしろ面白い、楽しいに繋がることなのです。
だから私は、どんなときも「覚悟する」「覚悟を決める」を大切にしています。そのきっかけは、両親や義母の介護経験からでした。
私は、癌になった母の看病・介護を7年、母が亡くなって少しずつ認知症になった父を15年、そして義母の介護を約2年の24年間、看病と介護を経験しました。
29年前に大阪から広島にUターンしたのは、母と父が病気になったためです。Uターンをして現在までの大半を看病と介護に携わっていました。
ありがたいことに、家族や妹が協力してくれたおかげで、仕事と看病・介護を両立することができました。
しかし、決してうまくいったわけではなく、様々なトラブルや不安、悩みの連続でした。
妹との確執、親戚からの非難、父や母との関係の悪化…。
問題の連続でした。父のことで妹と確執があったことは辛かったです。役割は分担してもほぼ絶縁状態が長く続きました。
でも、一番辛かったのは、父や母が次第に衰えていく姿を目の当たりにすることでした。
母は、快復の見込みはゼロで死に向かっている状態。
母が亡くなったあとの父は、昔から強情、わがままがさらにエスカレートし、実家に帰るたびにキツくあたられましたし、互い罵倒して傷つけあうばかりでした。
心底、父が憎いと思ったこともありました。そんな状態が10年近く続きました。
でもあるとき、気づいたのです。
私がなぜいつもイライラしているのか?を…。
一番の原因は、父が衰えていく姿が受け止められなかったことにあったと気づいたのです。
職人気質で口数が少ないけれど、人のためなら一生懸命になり地域の役割をいくつもこなしていた父のことを、私は大好きで尊敬していました。
そんな大好きな父が、そうではなくなっていくことが、受け止められなかったのだと思います。
”どうしてお父さんがこんな風になってしまったんだろう?”
父と一緒にいる間、私の頭の中はその思いでいっぱいでした。
でも、もう昔の父ではないのです。ここにいる父が、今の父なのです。
その現実を受け止めなければ、先に進めないと思いました。
それからは、腹も立たなくなったし、イライラしなくなりました。
父が今、どんな気持ちなのか?どんなことをしてほしいのか?がわかるようになりました。
父が亡くなるまでの5年間は、次第に何もできなくなっていく父の世話は大変でした。でも、
”やらなければいけないことが増えると、関わることもコミュニケーションも増えるんだ!”とむしろ楽しみになりました。
大変だったけど、父と穏やかな気持ちで過ごせて本当に幸せな5年間を送ることが出来ました。
そして、母や父の看病や介護から得た知恵や工夫は、私をずっと支え続けてくれた義母の介護に役立ちました。
どこにも受け入れてもらえなくて、寝たきりになり食べることが出来なくなった義母の介護が一番大変だったけれど、毎日二人で笑い合って過ごすことが出来ました。
私にとって「覚悟を決める」というのは、「現実を受け止める」ということ。
自分の枠組みに人をはめ込まない。
これまで培った経験も、仕事のやり方も、成果も、一旦脇に置いて現実を見ること。
それができるようになると、様々なことに気づけます。そして、どうすればよいかが見えてくるのです。
そのときに、はじめて、これまでの経験ややり方が活かされます。
「覚悟を決める」
それは、父や母や義母が私に教えてくれた、大切な私のこだわりなのです。