父の背中を追いかけて
デスクワークの合間に、20年前に作ったプライベートのホームページを見ていました。
写真、ブログ、バンドのオリジナル曲…完全プライベートで非公開にしていますが、ときどきあの頃のことが懐かしくなって見ています。
20年前も、コツコツ毎日ブログを書いていました。何気なく開いたブログが、2002年5月12日。ちょうど20年前の今頃です。
実家に帰って、父とのやり取りを書いていました。
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実家に帰った日、父が珍しく仕事をしていました。
地元の小学校で、卒業生が卒業記念に、自分の自画像を書いて学校に残すのが伝統になっています。父は、出来上がった自画像の写真を撮って長く保存できるように加工することを、小学校から依頼され長年続けていました。
母が亡くなる1年前(7年前)に、家業である写真店は閉店しました。私は、父がそこで完全に仕事を辞めたと思っていたのですが、この仕事だけは、細々と続けていたのです。
「まだ、この仕事やってたん?」
「そうなんじゃ、死ぬまでやってくれゆうて言われとる。いろいろ大変なんじゃがのぉ~~。今回も、最初に撮りにいったら、どうしてか、写っとらんかったんじゃ。そいで、またゆうこ(妹)に手伝ってもらって、ようやくこれができたところなんよ」
父は自由が利かなくなった手にカッターを持って、何度も曲がりながら写真のフチをカットしていました。
見るに見かねて、代りに私がカットしたのですが、父よりも、私のほうがまだ不器用(笑)。
焦りながら二人で何度もやり直して、やっときれいに仕上がって、ホッとしました。
露光不足か、カメラの調子が悪かったのか?
どちらにしても、最初に撮影したものは見事に何にも写ってなかったようでした。
プロとしてはあってはいけないミスで、信用問題にかかわること。
競争の激しい都会では、そんなことが1回でもあったら簡単に取り引き停止になってしまうこともあります。
でも、田舎の繋がりのおかげなのか?培った信用は、少々のミスでは崩れないようでした。
半世紀以上、この仕事に心血を注いで取り組んできたからということも理由のひとつだと思います。
どんな些細な仕事でも、お客様のために絶対に手を抜かない。
頑ななまでもこだわり続ける、職人気質の人。
病気になって、ますますわがままで頑固になって、一時期は、父のことが口もききたくないほど大嫌いになったこともありました。
でも、そういうプロ意識は尊敬するし、その一部が私にも宿っていることは、嬉しく思っています。
いつも薄暗い部屋で、”しんどい、しんどい”といって、寝てばかりいる父の、久々に見た、仕事をしている真剣な眼差し。素敵だな!と思いました。
与えられた仕事や役割があるということが、人を前向きにし、眠っていた力を蘇られるのかもしれないなって思いました。
「この仕事は、死ぬまであなたに託しましたから、お願いしますね」_たった一つになったけど、できれば父には、これからも元気でその仕事を続けて欲しいし、私も、そんな風に仕事を託してもらえるような人になりたいと思っています。
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企業研修講師の仕事をはじめて10年たった頃。私はまだまだだな~と思っていましたが、読み返して父の仕事ぶりを思い浮かべると、やっぱり私はまだまだだな~って思います。