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「パネルクイズ アタック25」

46年続いていた「アタック25」。明日の放送が最終回になります。
1975年に児玉清さんの司会で始まり、児玉さんが亡くなられた後はABC放送の浦川泰幸アナウンサーが引き継がれ、その後、俳優の谷原章介さんに司会が代わり現在に至っていました。児玉さんの司会も素敵でしたが、谷原さんの司会も魅力的です。児玉さんがそうだったように、谷原さんもこの番組の司会を続けながら、良い年の重ね方をされるんだろうな~と思いながら観ていたので、終わってしまうのがとても残念です。

小さいころから外出をしない日曜日の13時30分は、家族でこの番組をずっと見ていました。

そして、
実は、私はこの番組に出たことがあるんです。
もう25年前のことです。
30年前に大阪から広島にUターンし、同居し始めた義母もこの番組が大好きで、お昼を一緒に食べながら観るようになりました。
長年住み慣れた大阪を離れ、私たちと一緒に広島に来てくれた義母へのプレゼントのつもりで、オーディションを受け出場権を得ました。

でも、録画撮りの直前、義母は体調を崩してしまったので一緒に大阪には行けませんでした。
「じゃあ、お義母さん、お料理包丁を持って帰ってくるからね!」と言いながら小さい二人の娘たちと出かける私を、
義母が「がんばってね~」と子どものようにはしゃぎながら見送ってくれたのを思い出します。

そして新幹線と電車を乗り継いで、大阪のABC放送に到着。
張り切ってスタジオ入りしたのですが、収録についてとパネルの取り方を説明されたときに、「あ~私はオセロが苦手だったんだ!」とその時に気づいたのです。(遅いよ!)

でも、とにかく答えられる問題はどんどん答え、2回も間違えたので立ったり座ったり…。結局取れたパネルは1枚だけでしたが、欲しかった「関の孫六」の包丁がもらえて大満足のスタジオ収録でした。

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収録を終えたときに撮ってもらった写真です。
トップ賞は一番左の方が獲得されました。

司会を務められている児玉清さんが、台本なしで進行されることにまずびっくりしました。そして収録の合間は、私たち出場者にやさしい言葉やジョークをおっしゃって和ませてくださっていました。本当に素敵な方で、この写真はずっと大切な宝物です。広島の系列ローカル局でオーディションを受けた時も、制作スタッフの方が「局からは、もういい加減に番組を終わらせろといわれるんですけど、僕らの大事な番組なのでこれからもずっと続けます!」とおっしゃっていて、皆さんが一致団結してこの番組を制作されているんだなと感じていました。本当に素敵な番組でしたから、終わってしまうのはとても残念です。

実は、もう一つ残念なことが…。
昨日夕食の支度をしようと台所に立った時に、娘が「アタック25が終わるんよね。淋しいね~」といきなり言うものだから、掴もうと思った包丁が手から滑り落ちて。
冷蔵庫の奥に落ちてしまったのです。(泣)
とても取り出せる場所ではなく、番組と一緒に、番組の参加賞としてもらった包丁も使えなくなるなんて…。(泣)

悲しい気持ちをぐっとこらえ、今朝、新しい包丁を買ってきました。
(もちろん、買ったのは同じ「関の孫六」の包丁です。)


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